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価値観がワカラナイ💐
「彼とは価値観が合わないから別れた」とは聞き慣れた言葉。
花束みたいな恋をした(映画)を見た時も、「趣味が合うことと価値観が合うことは違う」ってレビューを見て、なるほど感慨深いなと思った。
でも私最近思うのが、
そもそも価値観なんて一人一人違うのに、
「価値観が合う」人探しって途方もなくない?
Love is not finidng your perfect half. It’s the trying, and failing, and reaching. -Ellie Chu
多分それは、ある映画を見て、この言葉に出会って考えさせられたからなのかなと思う。
* * *
自分の欲望や考え方を人に晒すことは
恥ずかしいことであり罪深いこと
そう思っている
だから守るようにして表面的な自分を取り繕って
周りと接する
自分の意見はグッと抑えて、堪えて。
うまくいく、仲良しな友達たちに囲まれる。
初対面の人との会話なんて得意分野だ、持ち前の明るさと場への気配りでその場をやり過ごせばいいんだから。
でもそうやって人によって接し方を微妙に変えてきて、バランスとって生きてきて、
手元に残ったものは、気付いたら、
あれ、何も無い。
全部その場限りのものだった。
居心地が良かったのに、この生き方。
自分では上手く生きてきたつもりなのに。
誰のことも不快にしてないはずなのに。
あれ、おかしいな。
高校の部活動がきっかけで
人間関係や人に対する考え方がガラリと変わり
期待も信頼も100%はしなくなった
幅広いコミュニティに足を踏み入れて、愛を感じてきた。でも湯船に体を全部つかり切るのではなく、あくまで浅く、そしてすぐに足を引っこ抜いて。傷つかないように、裏切られないように。たまにでいい、短くていい、長くなんていれないんだから
友達のことは好きだけど、"いつか"に備えて特定の誰かに永続的な深い信頼を寄せる事はなくなった。普段一緒にいるときはそんなこと考えないけどね
自分も相手も誰も傷つかないように、その場が楽しければいいやと思って、
お得意の明るい私像で接して、自分の意見は後回しにして周りのやりたいことを優先させて。
そうして私の明るい部分、何でも屋な部分、すなわち表面的な部分しか見てない異性が、私を好きになってくれる。元彼や今の人みたいにね
私が深い議論をしたい時も彼らは浅いところで「こういうことだよね!」って結論づけるから、こっちも話す気なくなる。ああ、やっぱりどこかで自分の意見を最後にしないと、妥協しないと無理なんだなぁ。
そこでタイトルに戻る。
え、価値観が合うって何??
誰一人として合致することなんてことないのに、どういうこと?
こんな偽りの自分で接してたら、そりゃ自分と「価値が合う人」となんて出会えるわけない。
第一この体にこびりついた生き様を、立ち振る舞いを、変えることは可能なのだろうか
ほわぁー誰の一番でもないことに虚しさを覚えるなぁー
そんな途方もない、八方美人の面倒くさい人のほのぼの日記でした。