「変わりたくないもの」のために「変わりたいこと」
世の中も自分を取り囲む周りの人、家族、友人などきりはないが刻一刻と変化は続いてる。
それは、目に見えるようなすぐにわかる変化もあれば、あるときにそういえば変わってたねと小さな変化が積み重なっててある日突然気づく時もあるかもしれない。
私は周りが変わるのが怖い。
刻一刻と常識が変わるのが怖い。
それについていけない自分がいるのが怖い。
けどね、それより圧倒的に
周りが変わるのに従って自分が変わることが怖いし無理なんだ。
環境に自分が埋もれて流されて、自分が大事にしたい気持ちとかわからなくなっちゃうんじゃないかって。
これ当たり前でしょっていう価値観って殆ど実はないんじゃないかと思う。
ただ、環境にあわせて生活してたらその場所、人の似た価値観ができてきただけなんじゃないかって。
まあ、人に合わせた方が生きやすいよねと思うしわたしもそうしてるのとせざるえないことは多々あると思う。
言い争いや揉めごとあれば、その先色々動きづらくなることもあるだろうし、心の体力も沢山消耗するだろう。もちろん互いにぶつかりあっても互いに向き合えれば良い方向に行くことも沢山あるけど、そうできるなら世の中の人や物事そんな大きな事件や問題も最初からないんじゃないかって思うこともある。(これは悲観的すぎるかもしれないけどこういう見方できちゃうなあと)
色んな意見や価値観、気持ちが入り混じった世界だけど、だから美しいこともある。それを許容できるなら。在ることを許せるのなら。
私は素直に生きたいから、コツコツやるべきことはやるし、立ち止まって振り返るよ。
自分の事を知ってあげようと思う。
自分の事を知るって、自分の強さもそうだけど、弱さにも真正面から向き合えた先に結構視野広がってて、そんな自分が在ることを許せるようになるんだと思う。
許せるようになるから、気づいて見える世界が広くみえる。
世界はもとから大きさ変わらないんだと思うけど実際は。
自分の中であらゆる人、物事が「在る」ことを許せる気持ち次第。
私は自分の見える世界は広げてゆきたい。(=変わらない、変えたくない、妥協したくない気持ち)
だから、「在る」ことを許せる物事、人も増やしていきたいと思う。(=変わりたいもの)