条件付きの私の感情
幼い頃から25歳の今までにずっと私の中にいる、今の時点だと邪魔だな〜て感じる、
私が自分の感情を解放することを許す条件
を言葉にしてみようと思う。
これを言葉にできたのは、私はずっと実家暮らしなんだけど、けんかみたいな感じになって、ここ一週間くらいお母さんと口をきいてなくて、それを今日、対話する時間のあるコミュニティで共有したことから始まってる。
私は、幼い頃からたぶん「良い子」ではあったと思う。お母さんの言いつけは大体守ってた。
遅くなる前に帰ってきてね。
挨拶しっかりね。
人前で〇〇はしちゃだめだよ。
帰ったら、すぐに洗濯物出すこと。
(成績順で決まる)クラス下がったら、ダメよ。
〇〇ちゃんやってるからあなたも頑張りなさい。
とかとかね。一見普通のことにもみえるけど、それができてないときに、こんなことを言われたことがある。
「お母さん、あなたの育て方どう間違えたのか分からないよ。もう好きにして良いよ。お母さん何も言わないから。」
って。
これは小学生の時に言われた言葉。
中学受験の勉強で何かが上手くいってなかった時に言われた。何かは詳しく覚えてないんだけど。
普通に、こんなこと思っててもよく小学生の娘に言ったよなと思ってる。笑
他にも、近所の子や私の親しい子と比べてどうしてあなたはこうなるの?できないの?とか、
成績をみて、あなたには〇〇学科は本当に厳しいからね。と断言されたことがある。
まあ、成績ならお母さんから現実言ってくれたんだと思うけど、そこも含めて、それらの発言は、
私の根底に、「周りより間違ってる私。私より周りが正しい」の思い込みをつくっていった一部だと思ってる。
だからお母さんの言う通りにできてなかったら、その場の雰囲気を壊す私でいるんじゃないかとか、世間から反する人間になってだめなのかなと感じてた。
でもね、一方でそれは、お母さんの言う通りにすれば、
周りに反していない私でいられてる、はぶかれることはなくそれができてれば安心していられる
ということに繋がってるってことだった。
これは間違いなくね。25歳になった今なら、色んな人に会い、場所に行き価値観に触れてきたから、そうでもないことわかってきたはずだけど、小学生なんて親がルールみたいなことたくさんあるから。
けど、私は地味に。本当に今でも、それが根底にあるんだと思う。
大人になった今の状況なら、たとえば、
研究サボらずコツコツ進めてるから研究室にいられる、教授に相談できるとか、
報連相できてるから組織に入れてるとかね。
それらができてこそ、組織に言いたいことや感じてることに素直になって良い。という許可が自分に下せる。できてないなら、思う・感じることすら私は私に許さず、我慢しろって言うんだ。
これが条件付きの感情だ。
私は私の感情を押し込めがちだ。
人といるときは特に。
だから1人でいることを好むほうだと思う。
例えば、お母さんと一週間くらい口聞いてないけど、その方が気持ちが安定してる自分がいる。家族でも他人って、分かってるんだけど、家族やパートナー、身近な人ってなんか特別な存在なのかもね。
押し込めないのには、1人になる以外にも実はある。
それは人と対話すること。
ただ、素直に対話をすること。
色んな人と対話して相手の価値観に触れて、自分を知っておいてあげることだと思う。
それだけ。本当に。視野が広くなっていってね、
自然と自分の感情を受けいれてたりすることあるから。
もとからの自己肯定感もあると思うけど、数ヶ月前に受け入れられなかったことが、受け入れたりすることてそういう理由なんだと思ってたりするんだ。
受け入れられない相手の価値観も。
ごめん、でもお母さんの価値観、家族の価値観は今の私じゃ受け入れられないや。
今は結構嫌いなんだ。
受け入れるのは、実は異なる価値観があっても上手く境界線を引くことでもあって、
それも視野広いと自然とどこで線引けばよいが分かるようになれそうだよね。