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キミと嘘、プラス心。5

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第五章 モヨの過去


「じゃあ、俺帰るな。明日仕事早いんだ」
「えー、泊まってかないのー?」
「泊まるか! まぁ、また誘ってくれよ。今度は俺も誰か連れてくるから」

 モヨのお泊まりの誘いにツッコミを入れつつ、孝弥は帰る支度を始めた。

「詩乃は泊まってくよね⁉︎」

 すっかり帰り支度の整った孝弥を見ながら、モヨは涙目であたしの方を向くから、なんの準備もしてきていないあたしは返事に困ってしまう。

「うちなんでも揃ってるから大丈夫だよ。あたしのなんでも使っていいし」

 あまりにも真剣に引き止めるから、あたしは孝弥をモヨと一緒に見送ると、母に電話をかけた。

「大丈夫だって、今週は特に大きな注文も入ってないしゆっくりしておいでって」

 母からの有難い言葉を受け取って、あたしが通話を終了させてモヨに振り返ると、散らかったテーブルを綺麗に片付けてまた新たなお酒をテーブルに並べ始めたモヨが振り向いた。

「やったーっ、優しいよねー詩乃ママは。羨ましすぎ!」

 両手を上げて万歳しながら笑顔を向けるモヨに、あたしは「子供か」とツッコむ。
 モヨの両親の事は何も知らない。
 学校に両親が来ているのを見たこともない。
 面談も、たまにあった行事とか、送り迎え、卒業式に至るまで、一度も。
 そんな両親の話も敢えて聞いたこともなくて。
 あの頃のあたしは、モヨとは親友だと思っていたけれど、知らないことばかりだった気がする。
 それは、今でも変わらない。

「あたしお皿とか片付けちゃうから、ゆっくりしててよ」

 外が一望できるように置かれたソファーとテーブルに、少しの料理とつまみを残して、モヨはキッチンへと使い終わった皿を手に持って向かった。

「あたしも……」

 手伝おうとして、振り返ったモヨに首を振られるから、あたしは仕方なくソファーに腰を下ろした。
 目の前に広がるガラス窓の向こうは真っ暗で、遠くに申し訳程度に街灯が並んでいる光が見えるだけ。
 昼間は、あんなに壮大な絵画のように見えたガラス窓は、飲み込まれそうな深い闇の様に感じた。

「あ、もう景色見えないから閉めるね」

 外に視線を向けて離さないあたしに気が付いたモヨは、壁に備え付けられたスイッチを押した。
 すると、自動的にブラインドが上からゆっくりと降りて来る。見たことのないその光景に、あたしは思わず「わぁ! すごっ」と声がもれて、まじまじとブラインドが下がってくるのを見届けていた。
 ブラインドが下り切ると、モヨが暖かいお茶を淹れて持ってきてくれて、隣に座った。

「あんなに飲んだのに、酔ってないの?」

 平然と片付けをして、ブラインドを閉めて、あったかいお茶まで入れて持ってきてくれたモヨに言うと、モヨは笑う。

「酔ってない、酔ってない、なんなんだろね」

 あたしの前にお茶を差し出しながら、モヨは寂しそうな顔をした。

「飲んでもあんまり酔えないんだ、あたし」

「相当強いのかも」なんて、笑うモヨは、やっぱり寂しそうに見える。

「あたしが聞いていいのか分かんないけど、どうして、モヨはいつも一人なの?」

 高校の時からだった。
 入学式に一際目立つほとんど白に近いロングの金髪に、短いスカート。それから伸びる長い足がスタイルの良さを感じさせた。
 メイクは多分眉くらいでほとんどしていない。長い睫毛にパッチリとした目は鋭く真っ直ぐ向いていて。だけど、なにも捉えることなく前を見据える。その端麗な顔立ちに、初めのうちは誰もモヨに近づく人は居なかった。
 普通なら怒られるであろうその姿。なのに、先生はモヨだけには何も言わなかった。
 それが不思議だと、周りから抗議の声が上がったけれど、モヨは徹底した自分のスタイルを貫き通した。逆に、それが格好良く見えて、あたしやあたしの周りは、みんなモヨの事を一目置く様になった。
 話してみれば、なんらあたし達と変わらない綺麗な言葉を話す、普通の女子高生。
 ただ、モヨはいつも一人だった。
 一人暮らしをしていて、学校では友達と仲良くしているけれど、家に呼ばれたりした事はなかったし、その頃のあたしは、寂しくないのかな? なんて、客観的にしかモヨの事を見ていなかった。
 だけど、今もモヨは一人でいる。しかも、こんな田舎の一等地に。
 あたしの質問に、モヨは静かにお茶を冷ましながら口にしてこちらを向くと、

「一人が、楽だからだよ」

 泣きそうに眉を下げて笑った。
 なんでそんなに、寂しそうな顔をするのか。モヨの言葉に、納得なんて何も出来なくて、あたしは更にどうして? が募る。

「ごめん、全部は話せない……って言うか、話したくないんだけど、詩乃に聞いてもらえるなら、あたしの両親の事、話したい。聞いて、くれる?」

 深刻に、伏せていた目をこちらに向けて真剣な顔をするモヨに、あたしは息を呑んだ。
 自ら踏み込むことはしてこなかった。
 面倒とかそう言うわけではないけれど、踏み込んではいけないような気がして、今まで一歩引いてきていた。
 モヨが話してくれるなら、聞いてあげたい。
 何か重い。だけど、モヨがそれを話してくれることで、寂しい顔をする事がなくなればいい。そう思って、あたしは頷いた。

✳︎
 東京に戻る事になったのは、あたしがあまりに自由気ままにし過ぎた為だった。両親はあたしを信頼などしていなかった。
 小さい頃は色んな所へ連れて行ってもらった。何でも買ってもらえた。父は代々受け継がれる家業の奥田家の家系に生まれて、地位も名誉もお金も、あるのが当たり前で育ってきていた。
 母はモデルをしていた頃に父と出逢って、父からの積極的なアプローチに負ける形で結婚へと至った。しかし、何でもありふれている父には母だけでは物足りず、当たり前の様に浮気を繰り返していた。
 母は、最初からこうなる事を分かっていたのかもしれない。
 だったら、どうして、父と結婚なんかしたのかと、いつだったか聞いたことがあった。
 そうしたら、『モデルの仕事がうまくいけばそれで良かった』と、母は言った。
 じゃあ、そこに愛はなかったのかと疑問に思った。仕事の為なら、好きでもない男と結婚出来るのかと。
 母は、そんなあたしに笑って話した。
『お金があるし、自由にさせてあげてるし自由にしてもらってる。それ以上に幸せなんてないじゃない』
 母にもまた、父とは別に男がいた。
 その男と会う時の母は、幸せそうな顔をしていた。
 うちに帰れば、あたしの世話をしなければならない。それが、きっと段々に億劫になったんだと思う。
『これであなたも自由に暮らしなさい』
 渡されたのは、金色に光るカード一枚。
 幸せって何? お金があること? 自由なこと? あたしは、父と母にお金だけの繋がりで見放された。
 自由も、お金も、手の内にあった。
 だけど、あたしは、全然幸せなんかじゃなかった。
『もうすぐ高校を無事に卒業するらしいな。一度、東京に戻りなさい。一通りの礼儀と作法だけは身につけさせたい。お前は一応奥田家の人間だ。名前を汚すことなど許されない』
 散々今まで野放しにしてきて、まだあたしのことを奥田家の人間だと言ってきた父に、疑問を感じた。
 モデルになりたいと言う夢も捨てきれなかったし、父の考え次第では、奥田家とは金輪際関わらないように、全てを捨てても良いと縁を切ることを考えた。
 だから、あたしは一旦東京へ戻る事にした。
 父の考えは、自身の会社をより大きくするために、大手企業の息子とあたしの婚約を取り決めたという話だった。
 意味が分からない。
 そんな知らない人と、いきなり婚約を決め付けられて、あたしの夢はどうなる? あたしの気持ちはどうなる?
 あたしは、あんたの人生を動かすコマなんかじゃない。
 あたしには、あたしのやりたい事がある。
 あたしは母とは違う。
 勝手に決めつけるな。
 全てを投げ出して、逃げようとした。
 だけど、半ばヤケになって受け続けていたモデルのオーディションの二次合格の案内が届いて、あたしはまたとないチャンスにかけようとしていた。
 それなのに──
『君さぁ、奥田グループの娘なんだって? うちで起用させてよ。一発出しとけば一瞬だけでも凄いタイアップになりそうだし、うちのいい宣伝にもなる。奥田の名前出せばテレビとかの依頼とかも来るんじゃない? お互いに良い話だとは思わないか』
 そんなことを言う大人を目前にして、正直愕然としてなんの言葉も出て来なかった。
 結局、あたしの実力じゃなくて、あたしには奥田と言う名前が付いて回る。
 どうあがいたって、それから逃れることは出来ない。
 だったら、花嫁修行だろうが何だろうが、とことんやって、やれること全部出来るようになって、そしたら、こっちから全部願い下げしてやる。
 そう思いながら、父の言う通りにやってきた。
 そして、あたしは婚約もモデルの起用も全て断って、またこっちに戻ってきたんだよ。

「言っていることはカッコいいでしょ? でもさ、結局あたしはお金で繋がれてる。町の一番高いマンションを借りて、美味しい物を取り寄せて、好きなものを好きなだけ買って。反抗しているつもりでも、あの人達にとっては痛くも痒くも無いんだ。ひとりぼっちなのに、一人じゃなんにも出来ない。弱いんだ。全てを捨てきれない。あたしも結局は、お金がなきゃ何も出来ない、ただの金持ちの娘なんだ。カッコ悪い。もう、どうしたらいいのかも、……分からない」

 モヨは卒業後の事を話してくれて、ようやく酔いが回ってきたのか、落ちるようにソファーに倒れ込んだ。
 そのまま寝息を立て始めたモヨの目から、涙が頬を伝った。
 モヨが泣いているところなんて、見たことがなかった。
 いつも笑顔で、人一倍元気で、冗談だって言えるくらいに陽気なモヨが、こんなに重たい人生を背負って生きてきていた事に、あたしは衝撃を受けていた。
 自分の夢もまともに叶えられずに、恋人にまで愛想を尽かされて、当たり前に受け入れてくれる実家へと舞い戻ってきていた自分の不甲斐なさを、笑ってしまう。
 あたしは、部屋の中を見渡して、奥のキッチンのカウンターの椅子に置かれていた大判のタオルを見つけると、それをモヨにかけてあげた。
 モヨが淹れてくれたお茶にようやく手を伸ばして、あたしは飲みやすい温度のお茶を一気に飲んだ。
 はあっとため息をつくと、広い部屋に寂しくなって、スマホでモヨを起こさない程度の音量で音楽を流した。
 膝を抱えてソファーの下で小さくなっていると、寝返りを打ちながら、モヨが呟いた。

「……キヨミ……さん…」

 その名前に、あたしは身震いをした。
 モヨの背中を見つめていると、むくりと体が起き上がった。

「……トイレ……気持ち悪い……」

 真っ青な顔をして起き上がったモヨは、フラフラとトイレを目指して歩き始めた。
 一体トイレはどこのドアだろう。辿り着くまでに吐いてしまわないだろうか。心配になりつつ見つめていると、モヨは行ってしまった。
 〝相当強い〟なんてのは、やっぱり嘘かもしれない。
 戻ってきたモヨは、顔面蒼白でソファーに倒れ込んだまま動かなくなった。

「……大丈夫? モヨ」

 あたしの問いかけに、小さく頷く。

「……ごめん、水、ちょーだい」

 震える手でキッチンの方を指差すモヨに、あたしはすぐに立ち上がって「待ってて」と、早足でキッチンへと向かった。
 大きな冷蔵庫の中には食材や調味料などが綺麗に整頓されて入っていて、普段から料理をしている事が伺えた。すぐ手前にあったペットボトルの水を手に取り、急いでモヨの所へともどると、蓋を開けて差し出した。

「……っ……」

 起き上がってゆっくりと水を一口飲み、しばらく黙った後に、モヨはあたしの方を向いた。

「ごめん、寝てたよね、あたし。お風呂入る? 寝室はそっちの奥にあるから、自由に使って」

 目覚めた途端に、急にテキパキと動き出すモヨに、あたしは聞きたいことがあった。

「ねぇ、モヨ」
「んー?」
「モヨって、孝弥のお姉さんと知り合いだったの?」

 お風呂の準備をしようと、湯沸かしボタンを押そうとして、モヨの指の動きが止まった。

「……え?」
「今、寝言で〝キヨミさん〟って言ってたんだけど、それって、孝弥のお姉さんの名前だよね?」

 あたしの言葉に、モヨはボタンを押すとすぐに、こちらへ向かって来てソファーへと座り込んだ。

「あたし……ずっと知らなかったの……キヨミさんが孝弥のお姉さんだってこと……」

 膝の上に置かれた手が、わずかに震えている。そんなモヨの姿に、あたしは何故か不安を覚えた。別に、孝弥のお姉さんと知り合いだからって、何か悪いわけじゃないし、孝弥のお姉さんだと知らずに知り合いになっていたとしても、その表情をする意味が分からなかった。
 どうしてそんな顔をしているのか、どうしようもなく気になって仕方がない。

「キヨミさんとは、高校の時にあたしがお世話になってた喫茶店で顔馴染みになったの。東京でもあたしはキヨミさんと何度か会ってる。こっちに戻ってきてから、孝弥からお姉さんが亡くなったことを聞いて、あたし、びっくりして……まさか、キヨミさんが孝弥のお姉さんで、しかも亡くなったなんて……」

 青白かった顔が、より青さを増していくように、モヨは俯いて両手で頭を抱えた。
 キヨミさんの事を知っていたのなら、もしかしたら、モヨは知っているのかもしれない。あの日、あたしが嘘をついてしまった、あの人の事を。

「……沖野……」
「え?」

 あたしがポツリと呟いた名前に、モヨは素早く反応して、俯いていた顔をあげた。

「沖野優志って人……知ってる?」

 明らかだった。モヨが答えなくとも、その表情は知っていると書いてあるくらいに明白で、あたしの方を見据えていた。

「……なん、で?」

 震える声でモヨが聞くから、あたしは一瞬躊躇ためらってしまったけれど、深く息を吐き出してから答えた。

「一週間くらい前に、駅前で会って、キヨミさんの事を聞かれたの……あたし、その人が凄く嬉しそうな顔をしていたから、キヨミさんが亡くなったなんて、言えなくて……嘘、ついちゃったんだ」

 あの人は、キヨミさんが亡くなった事を知らずに、まるでプロポーズでもしに来たかのような格好で立っていた。

「キヨミさんは遠くに行っていて、しばらく戻らないって……」

 なんて事を言ってしまったんだろうって、今でも後悔している。

 俯くあたしに、モヨは立ち上がってテレビを付けた。最小限の音量で、それを別に見たいから付けた訳じゃなくて、きっと色んな気持ちの整理が追いつかないから、何か紛れるものが欲しかっただけなんだと思う。
 大きなテレビの中では、知らないバンドマン達が見た目とは裏腹に切なく甘いバラードを熱演していた。

「その人は、キヨミさんの恋人だよ。あたしは、二人のことを、知ってる……」

 耳に入り込んでくる、苦痛にも似た声や息使いをするその曲が、あまりに今の心境と合っていて、涙が出そうになる。
 あの人が、キヨミさんの恋人であることは、あの時の格好で一目瞭然だった。なのに、どうして恋人であるあの人は、キヨミさんの事故を、死を知らずに、あそこに居たのかが不思議でならない。
 ──電話も繋がらないし、当てもない──
 あの人が言っていた。

「キヨミさんは、あの人のことはもう、好きじゃなかったのかな……」

 あたしが呟くと、モヨは首を振った。

「キヨミさんは、自分の事よりも優志さんの事を一番に考えるくらいに、優志さんの事が好きだったよ」

 テレビの中では、歌い終えたバンドのメンバーが司会者と話しながらさっきの悲痛な叫びの歌とは一変して、陽気に笑っている。

「詩乃、お願い」

 振り向いたモヨの目から、大粒の涙が零れ落ちていく。

「優志さんが、まだなにも知らずにいるなら、伝えて欲しい。キヨミさんは、事故で亡くなったって……」

 ポツリと呟いたモヨの後ろで、今度はその人達の見た目に合った楽曲が流れ始めた。
 悲しくもなく、切なくもなく、ただ楽しそうに、賑やかに繋がれるリズム。耳を向けなくとも勝手に流れ込んできて、気持ちとの整理がつかずに戸惑った。
 モヨの言葉とその音楽があまりにも正反対すぎて、あたしは、とんでもない事を頼まれてしまったと言うのに、何故かそれは、あたしがやらなければいけないような気がして、断る事が出来なかった。
 気が付いたら、モヨと同じくらいに溢れ出す涙を止める事が出来なくて、「分かった……」と、頷いていた。



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