漫才師と殺し屋【前日譚】
1.始まりの夏
「今朝な。ヘソのゴマいじってたらな。1mくらい出てきてん。」
「1m?!嘘やろ。てかきたなっ!お前のヘソどうなっとんねん!」
「もうあかんわ。俺多分死ぬんやわ。」
「えらいこっちゃやん。そんなんはよ病院行けよ。」
「それがな。それ、よーう見たらヘソのゴマやなくてゴーヤやってんけどな・・・・・・」
「まてまてまてまて。」
小四の夏休み真っ只中。俺はテレビの中の一本のマイクの前で喋り続ける二人の男をかじりつかんばかりに見つめていた。
金髪で目つきの悪い太った男が身じろぎもせず淡々とボケ続けていて、ヒョロリと細長い学生のような男が眼鏡が飛びそうな勢いでツッコんでいる。冷房が付いているのに、脇の下が異様なくらいビチャビチャになっていた。
「圭輔!もっと離れて見なさい!」
ばあちゃんの声を無視していると、後ろから頭を思い切り叩かれた。振り返ると父親が俺を見ながらすぐ横の机の上にあったリモコンを取り、無言でチャンネルを変えるとソファにドカッと座った。テレビの画面は阪神対巨人の野球中継に切り替わった。
「宿題終わってへんやろ。」
俺はじっと父親の顔を睨んだが、立ち上がるとわざと聞こえるようにドンドンと音を立てながら階段を上がり、自分の部屋のドアを力まかせに閉めた。腹の虫が治まらない俺は、勉強机の前の椅子を蹴り飛ばした。椅子は思った以上に勢いよく跳ね飛んで、脚の先が俺の足の甲に勢いよく落ちてきた。俺は痛さのあまり声も出ずにしゃがみこみ、悶絶した。
俺はじんじん痛む足の甲をさすると、床に寝転がり、ゴーヤってどんなんやったっけ?と考えた。しばらくして飛び起きると、ドアを開けて階段を素早く駆け下り、スニーカーを履き終わらない内に家を飛び出した。背中に
「圭輔!どこ行くんや!」
という父親の怒号を受けながら。
何故急いでいるのか自分でも分からなかったが、俺はとにかく全速力で走った。家のすぐそばにある団地は十棟ある。十棟目にやっと辿り着いた時は、ゼエゼエと限界まで息が上がっていた。手すりにつかまって階段をヒィヒィ言いながら上り、三〇三号室の前に辿り着くと一寸の隙も無くインターフォンを押した。数秒してから、はーい。と聞き慣れたおばさんの返事があった。
「伊藤、ですけど、幸太、いま、すか?」
ああ圭輔君。ちょっと待ってねー。と返事があり、しばらくしてガチャッと扉が開いて幸太が出てきた。上半身は裸で下は短パン、サンダルも履かず素足のままだった。右手にはさきいかが握られている。ツッコミ所だらけだが、今はそれどころではない。
「圭ちゃんどないしたん?」
心臓が潰れそうだ。俺は咄嗟に言葉が出ずに右手をちょっと上げて幸太を制した。何回かゆっくり深呼吸を繰り返し、息を整えると真っ直ぐに幸太の目を見据えて言った。
「漫才、やらん?」
幸太はキョトンとした顔で固まったまま、
「漫才?」
と聞き返してきた。
「そう。漫才。」
「漫才ってあの漫才?」
「うん。漫才。」
「俺とお前で?」
「俺とお前で。」
「ボケたり?」
「ボケたり。」
「ツッコんだり?」
「ツッコんだり・・・・・・ていちいち繰り返すなや。」
幸太はうーんと唸りながら頭をグラグラ揺らしたが、ものの数秒で、
「ええよ。ヒマやし。」
と即答した。あまりの返事の早さに、俺は拍子抜けしてホンマにええんか?ともう一度聞き返してしまった。
「圭ちゃんがツッコミ?」
「そらそうやろ。お前が一番学年でアホやねんから。」
「アホがボケなん?」
幸太はアホと言われたことに怒りもせず、心底不思議そうに聞いてきた。
「俺が考えるにな、アホって最高にオモロイと思うねん。」
俺の言葉に幸太は目を輝かせ、満面の笑みになって、そうなんやー!と叫んだ。
「幸太、さっきテレビやってたん見た?漫才番付のハヤトアキト!」
「見た!オモロかった!」
「俺最後まで見れんかってん!オチなんやった?」
幸太はさっきよりうんうん考え始め、さきいかをしゃぶりながら、しまいには身体全体をぶるぶる揺らしながらうーうー言い出した。そして暫く唸り続けた後に、
「あかん!忘れた!」
と叫んだ。
「何でやねん。忘れるん早すぎやろ。さすがアホやな。」
俺の答えに幸太は何故か嬉しそうにヘヘヘとだらしなく笑った。
「ネタは俺な!考えるから!明日から学校の後練習すんぞ!」
幸太の後ろから、おばさんの圭ちゃん上がってきー?という声が聞こえる。幸太は何故か持っているさきいかを俺に差し出した。
「いらん。オトンに殺されるからもう帰るわ。」
「うん!また明日な!」
団地を後にした俺は来たときとは逆にゆっくりと歩き始めたが、途中で嬉しさをこらえられず、手を広げてクルクル回りながら前へ進んだ。通りがかったオッサンがジッと見てきたので、何だかムキになって今度は逆回転し始めた。目が回って吐きそうになった。汗が乾いて冷たくなったTシャツが気持ち悪い。
家に帰って部屋に戻ると、Tシャツを脱ぎ捨てて、鉛筆と自由帳を引っ張り出した。
《はいどーもー圭ちゃん幸ちゃですー……。》
2.売れない芸人
「おい、水川もう出たぞ?俺、お前らの後だけど。」
先輩芸人の晴天アンリミテッドの中野さんが声を掛けてきて、俺は懐かしい思い出の中から呼び覚まされた。
「え?どした?」
「ああ。あのー中野さん。ハヤトアキトのゴーヤのネタって知ってます?」
橋本さんは急だな?という様な訝しげな表情をしながらもちょっと考えて答えてくれた。
「あー毛穴から出てくるやつ?」
「あ……それはキウイっすね。いやあざます。行ってきます。」
呆然としたままの中野さんを残し、俺は楽屋を出て舞台袖へと向かった。
漫才コンビ『圭ちゃん幸ちゃん』は夏休み明けに自由研究と称してクラス前で漫才を披露し、大ウケしたが、後日おとんにアホほどどつかれた。中高ずっと幸太とつるみ続け、コンビ名を変えて養成所へ入り、在学中から天才コンビなどと呼ばれたが、プロデビュー寸前の卒業前に解散した。
卒業後はピン芸人をやっていた、根暗で酒飲みの水川という男と『酒呑ランド』を組んだ。あれから十年。幸太は卒業後は人が変わったように普通に就職し、真面目に働いて、在学中にギャンブルで抱えた借金をあっという間に完済した。二年前に久々に会った時、
「生まれてん。可愛いやろ。」
と小さな息子を抱えながら嬉しそうに落ち着いた口調で話す幼なじみからは、俺がアホだと罵り崇めた少年の面影はすっかり消えていた。俺はと言えば、幸太みたいにアホの天才にはなれず、毎日ヤニ吸って飲んで、愚痴たれて、この劇場に立って、十年間全く売れていない。何も変わってない。変わったのは死ぬほど腹に付いた脂肪くらいだ。変われ、何でもええから変われ、変われや、誰か変えてくれ、変えろやボケ、と急にいつものヤケクソがこみ上げてくる。
その時いつの間にか隣に立っていた相方が急に幕のギリギリ淵へぴったり体を寄せ、首を突き出して下手の客席の方を覗き始めた。
「あの男の子また来てるな。」
端の客からこっち側見えるぞ、と思いながら目線の先を見やると、前の方に最近よく見るスーツ姿の若い男が座っているのが見えた。
「晴天さんのファンちゃう?」
「晴天さんにあんな堅そうなファン付く訳ねえわ。」
キッパリ言い切る相方に俺もそやな、と鼻で笑って同意した。出囃子が鳴る。ていうか、毛穴からキウイって何やねん。俺は後でゴーヤのネタ動画探すか、とボンヤリ考えながら袖から飛び出した。
【了】