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2021/03/11

2021/02/13 お米などの母からの仕送りと一緒に、ガラスの瓶が入っていた。なんだろうと思いつつかれらくんがスパイスとか入れるやつじゃない?と言うので水色の冷蔵庫の上にとりあえず置いておいた。夜、TVerでお笑い番組か何かを見て笑っていたら、揺れた。この部屋に越してきて一番大きく揺れたので、満杯の本棚が2つ心配になってかれらくんと一緒に押さえてみたけど揺れがおさまらず、外に出たほうがいいかもと言い合って裸足でサンダルを履いた。

岩手に住む母に地震大丈夫だった?という通算何度目かわからないLINEを送る。大きかったね。りっしゅもビックリしてた!そっちは大丈夫?という返信。続けて、瓶あったでしょ!あーちゃんの遺骨にと思ったんだけど、ママも明日にでも入れてみようと思って洗っておいたら地震で落ちて割れたー。

2021/02/19 職場の人と地震の話になって、小野寺さんのご実家は地震大丈夫だった?と聞かれる。停電もなく大丈夫みたいです、かなり揺れたみたいだけど。僕の母はいま栃木に住んでるんだけど、地震がきたときちょうど電話をしていて、食器とか落ちて割れる音はするし、かなり取り乱していて。2011年のときは父がまだ生きていて2人だったけど、父は去年亡くなっていまは母が1人で住んでるから色々思い出しちゃったみたいで。次の日仕事が休みだったから、栃木に行って片付けを手伝ったんだけど、かなり物が散乱していて。なんだか、栃木の中でも地盤的に揺れやすいところみたいで。あ、うちの実家もそうなんですよ。この前の地震は3.11とはまた違った揺れ方でしたよね。そうそう、それで、うちは墓がないから父親の骨壺が家に置いてあるんだけど、それも落ちて。母は開けて中を見てみようと言うんだけど、中身は見ないほうがいいって僕は言って。見なきゃ、どうなってるかわからないからいいよね、自分の頭の中の想像のままであり続けられるわけだから。骨問題あるよね、ありますね。骨壺じゃない、個人で持ってる骨ってどうやって保管したらいいんでしょうね。

2021/02/06 友達が泊まりにきて、ドライヤーで髪を乾かしているわたしにこれなに?と聞く。おばあちゃんの骨。

2020/11/22 火葬をして皆で骨を拾って、その場を離れようとしたとき、妹が眼鏡どうなるのかな?と言った。最後のお別れのときに、棺桶に家族写真とかあーちゃんが着ていた紫色のカーディガンとか、ピンク色の櫛とか、好物だった歌舞伎揚とか、わたしが東京駅のホームで新幹線に乗る直前に買ったクッキーとかと一緒に眼鏡を入れた。火葬した後、眼鏡ケースと眼鏡のフレーム、そして骨だけが残った。大きな骨は骨壺に入れて、持って帰る人はあーちゃんの小さな骨をハンカチで包んで、眼鏡はそのままになっていた。これ、どうなるんですか?えっと、あ、処分することになってしまいますね。持って帰ってもいいですか、あ、はい、じゃあこれ使ってください、と何かの裏紙に包まれた眼鏡のフレームをもらう。よかったね、うん、でもこれ、どうしようね。家に帰って、骨はティッシュに包んでジップロックに一旦入れた。わたしは割れないようにそれを自分の眼鏡ケースにしまって東京に持ち帰った。いつか、燃やされてしまうかもしれない八角形のわたしの眼鏡と一緒に。

2021/02/10 友人の麦島汐美さんの個展「やさしい海には骨がある」を見に百年を訪れた。そこには、わたしの友人2人の写真が泳いでいた。というのも、タイトルの通り、海辺、水、冷たい青味がかった写真たちが2020年という青い時間に漂っているように見えたのだ。このとき、本棚の上にあるあーちゃんの細長い骨が、海と繋がったのを見た。思えば、2011年、いや太古から骨は海と交わっていたんだね。

2021/02/14 高校を卒業したときにあーちゃんが買ってくれたPanasonicのドライヤーが突然止まった。あの頃あーちゃんは歩けることが当たり前だったし、わたしは地元を離れることを自明のことと思っていた。

2021/03/03 小手毬を買った。小手毬は枝がいくつも分かれているので、ハサミで切って、家中の花瓶に分け入れて、各部屋に飾る。ここ数年は3月になるといつもその作業をしている気がする。母が送ってきた瓶には100円ショップのシールが貼られていて、全然とれなくて、検索してドライヤーで温めるという方法を見つけて、試す。べとべとには消しゴムをかける。ぴかぴかになるまでかなり時間がかかる。

小手毬を生けて、あーちゃんが使っていたKバック(本当はキタムラというらしい)のコインケースの中に入っているお骨に供える。

2021/03/10 五連勤のはじまり。8:15からの遠くの現場で、6:00前には起きないといけないことが怖くて4:48になっても眠れない。行きは通勤ラッシュに泳がされ、久しぶりに他人のからだとからだに挟まれる。カネコアヤノは元気すぎて宇多田ヒカルを聴く。りのさんの日記映画の日記を読みながら、いまこの瞬間のわたしがポンペイ火山の噴火のようなものにパッキングされる未来を思う。

3/11が近づいたら日記を書く、ということをして何年になるだろう。10年前の高校1年の春休みに感じた違和感の所在を追い求めて、大学院まで行って論文を書いて、ずっとずっとあの日とそれから続くいままでのことを考えていた。考え続けなければいけない状況を自らに課してきた。実家の岩手にもフルハウスがある小高にも簡単に行くことができないいまだけど、こうして日記を書くことで交信している、し続ける。

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