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りぼんに囲まれた四辺だけが安全だった

幼少期に過ごした家は、13で引っ越した。そのときから、あの家には行っていない。
あの家の思い出は骨身に染みているようで、もううまく思い出せないものもたくさんある。

学校は疲れる。勉強は得意。ひょっとすると息をするより得意。楽しい。ハンドボールだけが好き。あとのスポーツは楽しくない。
小学校は、休み出すとなんだか大変になりそうだった。冗談で「明日休んじゃおうかな」と、内心は本気で言ってみたら、「別に休めばいいよ」と言われて、なあんだそんくらいのことかと思って、なんだかんだ学校に行き続けた。規範を外れた私を、日々値付けして、枠の外だねと確かめてくる他人のいる場所。

学区の中では、学校から比較的遠い地域で、入学当初は通学するだけでも褒められるような距離だった。12歳にもなると、30分くらいで着く。本を読みながらでは、上手に歩けない。一人で歩くのは落ち着いていいけど、考えごとがはかどりすぎる。

毎月月末は、読み込み過ぎてそらんじることができるりぼんの続きが読める。何より楽しみだった。買って、すぐに読む。待ちきれなくて、1日早く品だしするコンビニに走る。
すぐに読んだら、また読み切ってしまう。アリとキリギリスをその昔に読み聞かせられ、「よし、わたしは絶対アリになろう」と強く心に刻み、あとにあとに楽しみをとっておけるタイプなのに、りぼんは我慢できなかった。毎号、いいところで終わる。りぼんコミックスは、当時400円強。私にはそんなお金はないから、まとめて買って一気読みなんてできない。私がりぼんを買い出すまえの名作をたくさん読みたかったのに、なかなか、ほんとうに、買えなかった。

一軒家がぞくぞくと建つ新興住宅地にある、築30年はくだらないだろう2LDK。リビングなんておしゃれすぎて似合わない、居間の私の定位置で、わたしはりぼんを読み続けた。私の両脇に、読んだりぼんを高く積み上げて、だれも入ってこられないようにして。

宿題ができなかったことは一度もない。塾も英会話も大好き。書道は、ほんとうにたのしくなくて嫌い。寒いし、冷たいし。水泳も、楽しくない。歯磨きと、顔を水につけることになるあらゆることが絶望的に苦手。
そういうことの一つひとつが、私のせいではないとだれも教えてくれなかった。ほんとうに、子どもの時から。

だから本をつくった。
おとなが、そういう子どもに、何もかもがあなたのせいではないんですよと言えるように。何かがうまくできなくて絶望的な子が、なあんだこんなことかと試行錯誤して、生きることまで諦めなくていいように。

生きるのは苦しい。だれかが生きるのをささえるのも、簡単ではない。助かる個人でいつもいるなんてぜったいにできない。助けたり、助けられたりして、自分の心に釘を打ち続けなくてもいいように、すこしでも、このままでいいと思えるように。だから本をつくる。

だれにとも教えてもらえなかったことでも、ここで伝えたらそうじゃなくなる。本というメッセンジャーにのせて、昨日と明日のわたしに届ける。わたしをわたしたらしめる、不安と幸福を抱きしめながら。

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