私の気持ち

拝啓

皆さん、いかがお過ごしですか。
今日は、5/31。(書いている今はもう6月になってしまった。。。)
早いもので半年が過ぎます。
2024年も折り返しを迎え、色んな事がまた始まろうとしている中、
私の気持ちをここに置いていきます。

それは、「前を向くため」。
私がまた、「前に進むため」に。

拙い文章ではありますが、少しの間、お付き合いください。


まずは、私に関わる全ての皆様、
今日まで多くのご迷惑をおかけして、大変申し訳ございませんでした。
皆さんには、感謝しても、感謝しきれない気持ちでいっぱいです。
それと同時に、私の中の「他人に迷惑をかけたくない」という申し訳なさの気持ちも溢れており、皆さんには本当に多くの迷惑と心配をおかけしました。
ここ数か月のうちに、仕事のことや私生活のことで、大きな動きがあり、自分自身が限界を迎えた結果、逃げるように地元へと帰ってきました。
そんな私を温かく迎えてくれた皆さんには、本当に感謝してます。

私が仕事のことで気持ちが一杯一杯になってしまったのは3月頃。
年度末ということもあって、忙しくなる一方、同じ部署内で退職する人が多くなってしまい、私にも引継ぎ業務がありました。
勿論、退職するということは事前に知っていたので、少しずつ準備をしてきたつもりでしたが、いざ自分で!となると、不安や焦りがどんどんと押し寄せ、上手くできるのか、本当に自分は出来るのかという気持ちが募っていきますが、それと同時に通常業務もこなしていく必要があったために、その気持ちを誰にも吐露できず、一人で抱え込むことしか出来ませんでした。

さらに、同じ部署内にいる人たちのプレッシャーにも耐えきれなくなっていました。
私の所属する部署は、2つの課で1つの部署を形成していたのですが、片方の部署は3~4名ほどにいるのに対し、私の部署は1名のみ。
直属の上司は、両課の本部長ということもあり、他課の業務を中心にしていたので、私1人で多くの業務を抱えていました。
そんな背景もあり、なかなか上司に相談できない一方で、パワハラ。というほどでもないですが、もう片方の課の上司からの業務中の圧が凄まじく、徐々に気持ちが追い付けないほど追い込まれてしまいました。
この人とは、入社前から面識のある方だったのですが、仕事となると話は別で、仕事ができるからこその発言や仕事の指示が凄まじく、徐々に私にも高圧的な(?)態度になってきました。
慣れない環境、生活、仕事が多い中で、その人に対してそれなり覚悟していたことですが、まさかここまでとは思ってもおらず、さらに苦しんでいくことになりました。
(ここだけの話、その人は同じ部署内で既に2人を心理的に追い込んでおり、会社内ではある意味有名人でした。)

色んな気持ちに折り合いがつけない中、それでも毎日なんとかもがいていましたが、4月になって早々、体調不良でダウン。当時の病名は、単なる扁桃炎でした。
最初は、1~2日で治るものだと思っていましたが、一向に治る気配はなく、むしろ病状は悪化。最終的に一週間丸々休むことになってしまいました。
体調不良で会社を休むことになった私ですが、その期間、会社の人たちに迷惑をかけてしまうこと、自分の業務がどんどん積まれていってしまうことに不安を感じ、私の心理状況はとてつもないほどにどん底に落ちていました。
なんとか月曜に再出社し、また頑張ろうと思っていましたが、上記のこともあり、とうとう私の限界が来てしまいました。
4月9日(水)の23時ごろ、母親に電話を掛け、今の心境、現状、そして何より限界だということを話しました。
最初のうちは、なんとか平静を装って話ができていましたが、母親の優しい声や他人に気持ちをぶつけるということに対して、徐々に気持ちが溢れてきてしまい、最終的に涙が止まらないまま、話をしていました。
それを聞いてか、母親も涙ぐんだ様子で「もういいから、帰ってきな。」と話してくれたことで、私は山梨へ帰ることを決めました。

帰ってきてすぐ、同じ会社の仲の良かった友人から連絡とアドバイスがあり、精神科を受診。
軽度のうつ症状と不安神経症状から、適応障害と診断されました。
今となっては、気持ち的にある程度落ち着きましたが、当時の自分はまさか自分が精神疾患を抱えた障害と判断されるとは思ってもおらず、それが余計にダメージとして喰らったのを覚えています。
(結果的に長期間休めたのは、良いことだったんですけど。笑)
それから数日後、直属の上司にこれを提出した際、色んな話をするためにわざわざ地元に来てくれて、話をしました。
その人は、会社的にいろんな話をしてくれる一方で、人生の先輩的に温かい言葉もかけてくれて、私としてはかなり有難い限りでしたが、内心ではまだその人に対してもどこかしらの不安や申し訳なさが拭えず、上手く顔を見ることもできなかったです。
それでも、やっと何か重い物から解放された気がして、安堵したのをよく覚えています。

今の私にとって、東京への上京は良きも悪きも多くの経験となりました。
ですが、今思えばこの決断は勇み足だったように感じます。
というのも、この上京に際して色んなことを決断することなく、私は何もかも中途半端な状態で東京へと足を進めてしまいました。
私の推しも、同年2月に上京してきたこともあり、私にとっても「挑戦する年」と銘打って東京へと行きました。上京当時は、初めての1人暮らしや東京という日本の中心で生活できることに期待や楽しみの気持ちで溢れていましたが、家族のこと、自分のこと、未来のこと、何もかもが中途半端。
特に自分のことに関しては、それが如実に表れていて、たとえば住民票の変更や住所の変更も何もしないまま、東京の住居はほぼ勢いと景観だけで決定、会社への出社も前職を4月の半ばで辞めたのに際し、5月後半と1か月という短い期間で設定したために色んな事が手付かずの状態となったままでした。こういうのって、しっかり決めたり、会社とよく話すことが大切なのに何も完結させなかった結果、最終的に自分の首を絞めることになったのかもしれません。

仕事面と同じくして、プライベート面も色んな出来事がありました。
正直言って、ここには書ききれないし、なんなら書けないほどの迷惑をかけ、色んな人と色んなことを話して、自分の中で確かな答えが出ぬまま、ただ生きていくことしか出来ず、段々と惨めでちっぽけなような気がしてしました。
逃げるような思いで、帰ってきた山梨。
みんなは温かく出迎えてくれたけど、自分は笑えなかった。
いつもなら、笑顔で「ただいま」って言えるはずなのに、この時だけはそんなことも出来ず。
そして、ふとした時に自分の中からこみあげてくるのは「周囲との焦り」。「この時間の今頃はみんな何かしら頑張ってるのに、自分は自宅で引きこもり」の状態。
段々と友人や仲の良い人と会うのも億劫でした。
一度、地元の友達と会う機会があり、食事をしたけど、正直言ってみんなの顔を見るのが出来なかった。目を合わせることが出来なかった。
みんなの楽しそうな笑顔や、色んな会話が飛び交ううちに、自分という存在が惨めに感じて、逃げるように席を立ってしまったことを今でも悔いてます。
あの時、一緒にいたみんな、ごめんね。
でも、そんな自分を受け入れてくれると話してくれたみんなに感謝してます
優しい眼差しと言葉で自分を受け入れてくれたみんなに感謝してます。
あの時、一緒にいたみんな、ありがとう。


ちょっと脱線するんですけど、私のことについて。
多分みんな知ってると思いますが、私は噓をよくつきます。
知らない人も知ってる人も、心当たりがあるのではないでしょうか。
いつからか、何かあるごとに平気に嘘をつくような人間になってしまいました。
私は「事を上手くしたいから」っていう理由だけで、噓をつきます。
例えば、怒られたくないから、何か責められたくないから。
それ以外にも、自分のこと探られたくないから、人にいろいろ言われたくないから。
「怒られないようにする」っていう「事を上手くしたいから」嘘をつく。
「人に探られないようにする」っていう「事を上手くしたいから」嘘をつく。
そんなことをした結果、いつしか他人に対して些細なことでも敏感に反応してしまうような、「顔色めちゃくちゃ伺う奴」になってしまい、自分のことを正直に話すのが余計に難しくなってしまいました。
他人にはアドバイスとかできるけど、自分の本心のアドバイスを喋ることはできない。
自分の意見を話すと、誰かを不機嫌にしてしまうから、自分の本心は明かさない。
それも相まって、余計に他人に自分の本心を吐露するのが怖くなってしまい、一人で抱え込んでしまうような性格になってしまいました。
(自業自得、なんだけど。)
今こうして、自分のことを津々浦々と話してますが、画面を見ているあなたが、「もしかしたらめちゃくちゃディスってるかもしれない。」とか「こいつ、自分語りしてるめちゃくちゃ痛い奴やんって思ってるのかもしれない。」とか色んなことを考えてはいます。というか、考えてしまいます。
でも、こうでもしないと、色んなことを話せないし、何よりも自分を変えるためには、そういう弱いところを変えていく必要があるから、今は四の五の言わずにやってます。
そこも温かく見守ってくれると嬉しいです。


色んな事を書きましたが、如何でしょうか。
こんなにも、色んなことを書いて伝えるのは初めてだから、上手く伝わらないと思ってるし、上手くできていないと思ってます。
でも、自分を変えると決意したからには今日ここに色んなことを残して、前に進みたいです。

そんな僕が最後に一つ、お話ししたいことがあります。
もうちょっとお付き合いして下さい。

※ここからは絶対に「他言無用」でお願いします。




















5/14、人生で初めてOD(オーバードーズ)をしました。
市販薬(確か、ルル?)を買って、車の中で20~30錠程を一気に口に。
最初はなんともなかったのに、段々と気持ち悪くなってしまい、酩酊状態、最後には嘔吐。とても苦しかったのをよく覚えています。
死、なんてことは考えてもいないし、元気に生きていきたいです。
でも、その日だけは自分の中で何かが壊れてしまったのかもしれません。
頭の中で、「本当にこのまま、終わるかもしれない」と過ったのをよく覚えています。
私はよく、人にこう問います。
「もし明日、私が死んだら、あなたは泣いてくれますか?」と。
私という人間が、あなたにとって大切であると感じてくれるなら泣いてくれるのかな、なんて考えて聞きます。
この日も同じように頭の中でそれが浮かびました。
このまま目が覚めないことがあったら、彼も彼女もアイツもあなたも泣いてくれるのかな、なんて考えて。
勿論、しっかりと目を覚ました訳ですが、この日のことは今でも鮮明に覚えています。
私の中で絶対に忘れてはいけないし、これをしたという事実が残った日でもあります。
今思えば、死ななくて本当に良かった。笑


今日、6/1。
私は、「色んな事に決別して、前向いてもう一度頑張ってみたい」
そう思って、この文章を書き始めました。
最初にも書きましたが、私は多くの人に支えられ、助けられて、今ここにいます。皆さんには、感謝と申し訳なさ、で胸いっぱいです。
特にプライベート面で、私に関わって迷惑をかけた人たちには、本当に申し訳ない気持ちです。
色んな事を機に、私に対して思うことがある人や、縁切りになった方も少なくありません。
それでも、私を信用してくれている皆さん、私と仲良くしてくれている皆さんには、感謝の気持ちです。
これからの私は、一つ掲げた「やりたいこと」を目標として、一生懸命に頑張ってみようと思います。その過程の中で、皆さんの力を借りる場面があるかもしれません。でも正直言って、今までなんでも一人で抱えてきたから、どうしたらいいのか分からない事のほうがほとんどです。
それでも、何かあったら皆さんを頼らせていただきますので、よろしくお願いします。

それと、なかなか面と向かって言えないですが、
おかあとおばあにも、感謝しかないです。
こんな情けない、障害持ちみたいな息子を優しく、温かく受け入れてくれたこと、居場所を用意してくれたこと、黙って美味しいご飯を作ってくれたこと、全部に感謝したいです。
これからは、少しでも恩返しできるように精一杯やってみます。

ありがとう、おかあ、おばあ。


拙い文章でしたが、今日ここに全てを残して、
私は、また頑張ります。
何卒宜しくお願い致します。                   敬具
































夢を追いかけて すべてが変わる

いつだって君を心は見ている

愛はどこにある その答えから

君だけの勇気必ず探し出せるさ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?