真冬になったり初冬になったりで 風邪をひいたりしていました。 こんばんは。 宗教三世として幼少期を過ごした私は 思春期以降、トラウマのようになってしまった 「信心しないと不幸になる」 自分自身は信心深くもなんともないのに 何か悪いことが起こると (ああ、信心しなかったからだ) 悪いことが起きてもないのに (ああ、信心しないからいいことが起こらないのだ) と認知の歪みを自覚しながらもその思考から逃げれなくなっていました。 ずっと他責だったのです。 「信心」に依存し「信心」
こんにちは 急に真冬ですね。。 宗教三世、ということでつらつらと書いてきましたが 今は無宗教です。 やっと、気持ちが楽になってきたかな程度ですが。 幼いころから刷り込まれた【信心しないとどうなるか】の恐怖から やっと距離を置けるようになったかな。 本当に怖かったのです。 今もまだ教本と数珠を捨てるのが怖いと思っています。 数珠・・・ コロナ渦で一昔前のようなお葬式がなくなり 家族葬が増えたのは私にとってはある意味救いでした。 数珠を出すのがとても嫌だったのです。 今ま
両親の仏壇に向かう姿は子どもであった私から見れば 現実逃避そのものだった。 子ども達、社会、すべての事柄から逃げたかったのだろう。 自分たちの身の回りの事実から目を背け仏壇に向かい 【幸せになれるお題目】をあげ続ける。 様々な事柄から逃げ続ける彼らは【幸せ】だったのだろうか。 母親は鬱を患ったままよくなることもない。 父親も社交性が全くなく、鬱の母親と二人家に閉じこもっている。 でかけるのは病院と買い物だけだ。 そんな現状を私が耳にするのは年に1度あるかどうか、というくら
こんにちは 反抗期を迎え、成人し、子を持ち、離婚後シングルとして子育てをしていた頃。 押しかけてくる親戚に懇願し何とか新聞も解約し ああ、これでしばらく何も言われずに済む。と憂鬱な気持ちから解放された。 子供から背を向けて仏壇に向かっていた両親は 相変わらず朝夕、困ったとき、仏壇へ向かって座っていた。 母親が調子が悪い、と病院へ行きC型肝炎の結果とともに入院生活が始まった。 そのころちょうど母親は更年期の最中で肝炎の治療薬との相性も良くなかったのか鬱を発症した。 退院
幼少期からの違和感が嫌悪感にかわっていった反抗期。 子どもの頃、両親からの 「信心しないと不幸になる」説は 反抗期を迎えた私にはなんの説得力ももたなくなっていた。 逆に そんな両親を持つ私は、不幸だとも思っていたし こんな宗教も信用ならんと思っていた。 病院に連れて行かないなど、子どもに対しての対応がちょっとどころかオカシナ両親は 信心してようがしていまいが、確実な毒親であり子どもからの信用は皆無になっていたのだ。 私はこんな宗教を信じている両親の子どもだ。 その事実で
こんにちは 子どもの頃の違和感から始まり うちはなんかおかしい、と実感した出来事。 小学生、高学年の頃から偏頭痛の発作を頻繁に起こしていた。 今思えば重度の偏頭痛。 吐いても吐いても治まらない頭痛。 トイレのある階、布団をひけるのは仏壇のある部屋だけだ。 私が吐きすぎて脱水になり 意識朦朧としているとき 病院に連れていってほしい、という私に背を向けて 仏壇に祈る母親。 母親は仏壇に祈れば私が治ると思っている。 私は意識朦朧としていて 病院に連れて行って、と背を向けた母親に
宗教的な話 2 小さなころから違和感だらけ、だった。 信心していれば幸せになれる。 信心しなければ不幸になる。 私は信心から幸せを見いだせなかった。 ただそれだけなのかもしれない。 信心しなければ不幸になるといわれ続けたけれど 【信心】をしなくなってからのほうがよっぽど気楽だ。 私には弟が一人いる。 彼も今は【信心】していない。 信心をしないと不幸になると言い続け、今も信心している両親。 本人たちは幸せなのかもしれない。 【信心】に心のよりどころを求め毎朝毎夕仏壇の前に
こんばんは 今日は昔のことを思い出してみます。 私は現在50代。 宗教三世にあたる年代です。 今は無宗教ですが。 祖母が入信し 子供達(私の父親とそのきょうだい)ももれなく入信。 私の父親は三兄妹の真ん中。 私の家は 父親が宗教二世。結婚した時に私の母親も入信。 そして私、弟が生まれこれまた生まれた時から入信済。 意思も何もあったもんじゃない。 記憶の中にある仏壇の存在は小学生あたりから。 なんか自分の周りの友達と違う、と思い始めたのも小学生。 鳥居をくぐってはいけな
インスタもxも登録はしているけれど 知ってる人に見られるのが嫌で ほぼ更新せずにいました 仕事の人に知られるの、嫌で。 何食べてた 何してた 知られたくなかったり。 noteにこれから 少しぽちぽちお話しできたらと思っています。
もう1ヶ月以上咳き込み鼻がつまり 熱はでない生活をしています 最初喉の異変でかかりつけ医に診てもらい その後耳鼻科へ通院して もう咳のしすぎで まさかのあばら骨に響く事態 みみは詰まった感じで診てもらい これまた中耳炎になりかけときた 「アレルギー性の咳喘息みたいなー」 「咳のしすぎであばらも痛くなりますよ」 「鼻がつまると耳にもくるからねえ」 首から上がすべて「不調」 今日なんて お風呂で耳に水が入って抜けないまま数時間たってしまい 気分は小学校のプール後 熱いアスフ
なんとなくこの日付は この年齢になってもそわそわする なにかに追いかけられてるような なにかに立ち向かわないといけないような 心のおきどころがなくなる おしりもちょっと浮いてる気がする 気持ちのなかが そわそわざわざわ 落ち着かない 明日の朝はきっと ああ、9月だ それだけしか思わないはずなのに 毎月の30日31日にはない なにかがある、8月31日
今日は定期健診 前回の検査結果と投薬 何時間待つかなあ
さて、これからどうしよう 軽度のうつうつですねとこころの病院の先生に診断されて約3ヶ月 休業することにしました 転職先も決まりました なのにざわざわするこの感覚は うつうつしてるからなのか 明るい未来に希望を、なんて今は無理だけど 1ミリでも進めているなら ほめてもいいかもしれない 1ミリ進んで1ミリ下がってくらいなら ほめてもいいかもしれない
おはようございます お疲れ様でした もう長らくこんにちは と誰かにあいさつしてないな 事務所での仕事で こんにちは と電話でご挨拶することもない ああ、こんにちはと 誰かにあいさつをする環境ではないかもしれない 今日は誰かに こんにちはとあいさつができるんだろうか
今なにしてる? 今なにしてる? 友達に聞かれるのと 仕事の人に聞かれるのとでは 全然違う
はじめましてこの言葉はいつぶりに発しただろう 最後に はじめまして と挨拶をしたのは誰だったか これから先 はじめまして よろしくお願いします と言える機会が 増えるように 生きていく