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トラウマ総合商社(その1)

※※仕事術、ビジネスではございません!※※

※※この記事を見たから解決に導けるわけではありません!※※


トラウマをトラとウマに分ける

どうも。MIZU(@3477mizuku)です。

トラウマの総合商社というほど、過去の恨み辛みで、過去に囚われて生きている。

トラウマの多さ、多方面さでは商社並みだと自負している。

むしろ、ダメダメ自分大会とか、汚い自分選手権とか、悪いほどチャンピオン!という大会はないだろうか?

トラとウマに分けるというのは、トラウマを因数分解してみよう、という試みである。

なぜなら、人や両親が嫌いというのもすごく抽象的で、抽象的である限り、視点がぼやけていて何もわからないため、具体的にしてみたいのだ。

また、こうやって書いていくうちに、自分のトラウマの原点が見えて整理できるかもしれない。

細かく分けてみるプロセスで解決や転換の糸口が見えるかも!と感じたからだ。

僕は、幼いときからの人格形成上、摩擦と葛藤の日々を過ごしてきた。

人をうらやむ、テストでいい点とりたい、クラス皆に好かれたい、人気者になりたい、

と隠キャが陽キャになりたいだけ、と口では言いながら、ただの妄想癖に火がついた変な少年であった。

例えば、授業中に頭のなかで、学校に空想でジェットコースターとレール作って、それに乗っていたり、好きなゲームのことを考えていたり、

授業、勉強というものに1ミリも興味のない少年であった。

鬼滅の刃の霞柱、時透無一郎ばりの感覚だ。

常に、違うことばかり考えているので、クラスにも授業にも体育にも馴染めないのだ。

本当は友達も欲しいのだが、自分のペースでしたく、馴染むことにそこまでは興味がないのだが、それでも先生のアドバイスや無理やり馴染むこと、友達を作ることが求められるので、コミュニケーション力をつけなければならなかったので、苦痛だった。

上記で皆から褒められる人気者になりたいと思いながら、自分のペースで友人を作りたいのだ。矛盾しているが、どちらも自分なのだ。

自分の中に矛盾はかかえてきた方だ。

★たくさんの友達欲しい⇄マイペースに数人の友人欲しい

★良い成績を取りたい⇄勉強したくない

★習い事を同時に3、4つさせてもらった⇄どれも中途半端

★両親にほめられたい⇄両親を突き放す

どちらも僕の姿である。誰しも自己矛盾はあっただろうが、僕の場合、両極に寄っていたのだ。

極端なポジティブ。極端なネガティブ。0か100。

心の揺れ幅、ゆらぎというか、すごく大きな葛藤を常に子ども心ながらに抱えていた記憶がある。

AB型という血液型はあまり関係が無いと思うが、二重人格的な部分もあったのかもしれない。

少しの出来事に左右されて揺らぐ自分自身が嫌だったのだ。

個性的な自分だったのだが、周りがこうだからといって、その個性を自分で殺そうとしていたフシもある。

変であることは個性と認められなかった時代だ。

当時から誰にも理解されない変な意味で尖っていたので、そういう意味では、時代の先端をいってたのだろうか笑

MIZUという名前、本名は非公開にするが、男性でありながら、女性っぽい名前なのであった。これにもトラウマがあり、なんで男性ぽい名前じゃなかったの!?と名前すら受け入れようとしなかったのでる。

父、母は自分たちなりの想いで愛してくれた。

方法や教育方針は、なかなか僕には受け入れがたいものであったが、「MIZUは目に入れても痛くない」と生命を投げ出してもいい覚悟で愛してくれた。

ただ、僕の捉え方がひねくれていただけである。愛がもらえない、ちょうだい!ちょうだい!と両親に愛情を求めた。

そのひねくれ度は、例えば、ゲームが好きだったのだが、ゲームソフト買ってきてくれても、自分の欲しいタイトルじゃなければ「いらない」とふてくされて、両親の前では遊ばないなど、

自分の願望をかなえるために両親を使い走りした。

具体的な望みを言わないくせに、買ってきたものが違ったら(当たり前だが)、いらない!なんでコレを買ってきてくれなかったの!?と言う始末であった。

だったら、自分で買いに行けよ!と言いたいところだが、父が病気がちで、妹も小さかったので、育児や通院などに手がかかっていたのだ。だから、調子に乗っていた。ひどい息子だ。

このひねくれの原因も愛の枯渇である。愛情を人に求めている限り、何も成就しないのだ。

だけど、別記事でも「MIZUは素直だ」と言われているが、それは身内や祖父母は褒めてくれるし、お年玉くれるし、嫌な思いをしなくてよかったから素直だっただけだ。

なんとまぁご都合主義だこと。

ずっと愛を求めて三千里。マルコほどの行動力はないが、求め続けたことだけは記憶がある。

自分の思う父母ではない、というのも本当は失礼な話である。おそらく前世があるとしたら、その時から醜悪な心グセを発揮していたのだろう。常にネガティブ一辺倒で自分を捉えていたのである。

すべて「悪く」捉える心グセなのだ。もっと根本は、「悪い」しか見ないのだ。真逆には「良い」面も同時にあるはずなのに、

片方だけ見るクセがこびりついている。

バランスの良い人は、物事を両面で、客観的に見ることができるので、葛藤が少なくて済むのだ。

そもそも、人や両親のせいで俺はこうなったんだ!と被害者意識におちいるクセである。

ここに気づくまでに、数十年もかかっている。

自転車や車のサビも放っておいたら、酸化して取りにくくなるのと同じで、心根にこびりついたサビもなかなか取れないのである。

取り方やサビの見つけ方も知る必要もあるし、心の方が取り扱い注意と思うのだ。

救いは、幼少期〜精神科にかかる経験が1度(20代中盤)だったため、薬の服用も少なく、医者依存をしなくて済んだことだ。もし、精神科にかかっていたら、なんらかの病名が付けられた可能性も高いと思うのだ。

ただ、母は精神科にかかっても「MIZUはおかしい子ではない。信じている」と最後まで信じてくれたのだ。過程はどうあれ、お腹を痛めて産んでくれたのだ。

「産む」と決めてくれたのだ。

精神的にはちゃめちゃだし、色々と恵まれていると思う。でも「まだ、足りない。まだ、まだ、まだ…」と僕が求めているだけなのだ。

こうやって、トラウマの原因を両親から自分に、外に向けた意識を自分に戻してあげるようにしたい。

解放されたぶんだけ、自分が軽くなってくるのだ。ささいなことで引っかかったり、つっかかったりしなくなると思うのだ。

今回は、これくらいにさせていただこう。

続きは今度にさせていただきます。

お読みいただき、ありがとうございましたm(_ _)m



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