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ポジティブ2.0

1.普通から尖った変態になりたいあなたへ

spoonで、「自己不信2.0」という投稿をした。

ただただ、不信によるストレスを周囲にばら撒いて、自分だけでなく、周囲まで不幸にしてしまうこと、

そうではなく、不信をみとめて一旦踏みとどまれるか?心の筋力をアップして、不信を乗り越えるような内容として投稿した。

完全な私見だし、言いたいことを言わせていただいている。

だれかの賛同がほしくてやっているわけでもない。

あぁ、ネガティブにとらわれていても仕方ないなぁと思える変態が1人でもいたら嬉しい。

結局のところ、暴走するのも鎮静化するもの、その人の心が抑止力となるのだろう。

しいては、愛のキャパかもしれない。

狭ければ、コロナよりやっかいな自己否定な人たちが、自己否定な人たちを叩き、それでも満足せず、より強い刺激を求めて、自らの外へ外へと無秩序の連鎖を起こすと思われる。

その対象が政治家だったり、評論家だったり、店員さんだったりする。

いま、ネガティブに行けば行くほど、人生は詰みゲーになる。

このコロナ禍でせっかく、「クラスチェンジ」に機会が与えられてるかもしれないのだ。

コロナを戦争と捉えている人もいた。

この戦争で破壊された分、新しい価値観が創造されるからだ。

新しい価値観についていけるためには、それだけ自身のレベルアップ、クラスチェンジが必要なのだと思う。

人間というクラスから、スーパー人間になるかもしれない。

また、ここで言う変態は、警察に捕まるような犯罪者、変態とかどMいう意味ではなく、

明らかに、ひとや周りと違う、かけ離れた思想、考えを持ち、自分しかいない尖った考え方、それを大切にしている人たちである。

どちらかというと、周りに理解されなかった人たちだ。

宗教や精神世界、成功哲学でもない。

僕も以前やっていたが、それらには、教祖や団体の思想に依存してしまう中毒性がある。

誰も認めてくれないのに、その団体のみじぶんを認めてくれるのだ。

誰だって愛して欲しいのである。

真逆に、変態は、自分が自分として確固たるものを持っているかということである。

自分で自分を愛し、満たすことが出来るから、人に依存する必要がないのだ。

これは僕にも言い聞かせていて、借り物ではないじぶんなりの言葉で表現できているか?

「昨日の自分より今日の自分の方が進化、成長できているか?」

「おのれは変態だったか?」と。

より尖ったじぶんらしさを発揮する時代が来るかもしれないのだ。

AIやロボットが仕事、生き方そのものを大きく変える今、没個性では生き抜くことすら難しくなるだろう。

だから、普通に生活したい、皆と歩みを合わせたい人ほど、この記事は合わないだろう。

より尖りたい変態にむけて発信している。

2.ポジティブ2.0

今回、ポジティブ2.0と題してみた。

僕は善悪論が強いので、ポジティブ=善、ネガティブ=悪と捉えて、不快の沼にズブズブである。

リーリーさん「爺さ。台拭きぐちゃぐちゃだよ。ここ汚れているよ。トイレの便器…汚れているよ。」と言われるだけで、

(俺は悪いことをやった、そんな自分はダメダメなんだ…)と鬼滅の刃、我妻善逸ばりの自己否定モードになるのだ。

または、その自己否定を認めたくないから【怒り】になるのだ。

なんで俺が言われなきゃいけないの?きーー

漫画みたいに怒りになって逆転するようなストーリーではない。

親友のクリリンを殺されて、怒りを原動力としてスーパーサイヤ人になった悟空とて、結局のところはフリーザを傷つけて、星を破壊しているだけなのだ。ネガティブな感情は外に向けて破壊しか起きない。まして、自分に対しては、自傷行為しか働いていない。

もっと身近な現実社会の話だ。このやり取りは誰しも日常でないだろうか?仕事でミスが指摘されたとき、恥をかいたとき、

様々な感情がうずまくところだろう。

読者の皆さんは素直に認められているだろうか?

僕は善悪の強さゆえに認められないのだ。

ただし、ふとしたところで(いや、待てよ。自分こそ加害者なのではないだろうか…)と意識が転換する時があるのだ。

自分が怒りになっていることを認めたのだ。

そうすると、冷静になれる。

冷静になると、いや…なんで怒ったのかな?とはじめて自分自身に意識を向けることが出来ると思うのだ。

理由がわかった時に、不快な感情で傷つけたじぶんに謝れるのだ。また、真逆になりたい自分について考えだすのである。

そこでハッと止まることができ、ネガティブへ行かない抑止力になる。

今まではポジティブに行くためにも、ただ、嬉しい、楽しいというポジの部分を見る、励ます、褒めるという部分がひとり歩きしていないだろうか?

ポジティブ2.0は、前述の記事にも書いたように、しっかりとネガティブと向き合い、真逆に転換するプロセスそのものなのだ。

心や感情なので、詳しい取扱説明書は書かないが、このネガからポジへの意識の方向性、ベクトルが相対性原力を生むのだ。

また、両方の感情を認めるので、きわめてバランスの良い自分にもなれる。

なので、不快な感情のときに、認めずに無理やりポジティブにする(しがち)こともバランスを欠くことになる。

キーワードは、バランスなのだ。

自然界、森羅万象、宇宙、といった人間の手に及ばないところに法則のヒントがあるかもしれないのだ。

本来はいまの日常生活も摂理の一部ではあるが、あまりにも唯物的に生きるクセが染みついているので、わかりにくいのだ…

じゃないと、聖人、義人と言われる人は、山にこもり断食や修行をして超人的なことから何かを見出そうとしないはずだ。

そういう意味で、街中、繁華街に法則、摂理はあったとしても見出しにくいものだ。

従来の枠組みでは、物事を片方だけ認めるという考え方が近いうちに、変わってくるだろう。

感情につき、良いにつけ、悪いにつけ、両面を見れるキャパが必要になりそうだ。

ポジティブのみを見ない、新しい価値観ということで、2.0としてみた。



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