天真爛漫≒出すぎた杭
シャイな小学生だったのですが、高学年の時「私の人生、もっとイケてるはずなんだけどなぁ?」と漠然と、理想と現実にギャップを覚えました。中学時代は、母親にも教師にも反抗してばかり。暴力的な担任が嫌い、高圧的な教師が許せない、担任をクビにすべく教頭室に直談判に行ったこともありました。そのくせ、学校祭となると張り切って演劇の脚本・監督・出演に没頭。授業中は全然先生の話を聞いていないのに、塾で勉強してテストでは高得点を目指す扱いにくい生徒でした。だから、中学の先生に対して良い記憶が全くない。そのくせ、頭の中は「〇〇ちゃんと△△君が付き合った」、「〇〇ちゃんと△△君が別れた」、「〇〇ちゃんはクリスマスに、△△君へ◇◇をプレゼントした」とか、下らない恋愛の悩みや噂話ばかり。
職員室に呼び出され、大嫌いだった担任に言われた一言:
「あんた、そのままでは社会で通用せんぞ」
幸い自己肯定感が高かったのか、私のどこが通用しないのかしら?としか思っていないのでまったく心に響きません。その後、ヤンキー友達と別れるべく市内の進学校に進学しました。
「ここから抜け出したい」
くだらない恋愛情事で頭がいっぱいの割に、それだけの毎日が嫌で嫌で仕方ない。周囲の友達を男女問わずどこか見下していた傲慢な性悪女子…それが中学生の頃の私です。
私が通った高校は定員割れの中途半端な進学校だったので、校則や学習指導の根底にある考え方がこちら:
「自由を与えると、生徒は勉強しなくなる」
セーラー服のスカートは膝下10cm、靴下の長さはくるぶしから指4本分、セーラー服のリボンは20㎝(教科書の長さ)、ヘアピン・ゴムは黒のみ(青光りする素材はNG)など、嘘みたいな校則を、教師陣は超本気で徹底指導していました。授業開始の礼が下手だと、1時間ずっと「起立、礼、着席」を繰り返した日。教室の後ろの棚のスポーツバッグの紐のしまい方がだらしないと説教された日。透明のマニキュアを小指の爪だけ落とし忘れてた私に、美術教師が放った名言がこちら:
「この高校は、99%の生徒が大学進学を目標としている! お前みたいな奴は必要ない!」
威圧的な校風のせいか、私が成長して打算的になったからか、学校や教師に不満があっても、中学生の時のような闇雲な反抗はしませんでした。
もうひとつ忘れられない名言を追加します。化学のテストが返却され、クラスで最高得点だった私(エヘン)。でも、ノートを取らずに授業を聞いていたら先生が激高:
「横着するなよ!だからお前みたいのはダメなんだ!!」
教師の思うように動かない=成績がいいはずがない、という公式。さっき、最高得点を取ったのは私だって言いましたよね? それでもダメなの?
中学の先輩の勧めで、男子バスケットボール部にマネージャーとして入部しました。できることなら、純粋に自分が興味のある部活を選びなさい!と、当時の自分にアドバイスしてあげたい。でも、下心全開なアホアホ中学を卒業したばかりの私です。イケてる先輩に可愛がってもらえば、高校生活をエンジョイできるだろう!くらいに考えて入部しました。ところが、そのバスケ部が全国ベスト11に入ってしまうくらいの強豪チームに急成長してしまったのです。
朝練、昼練、放課後も夏休みも、自由な時間が皆無な部活三昧の日々。しかも、私はただのマネージャーですから、ホワイトボードを持ってくるのが遅いと監督に叩かれたかと思えば、遠征バスの中では北島さぶちゃんについて監督の熱弁に相槌を打ち続け、汗まみれのナンバリングを渡されれば、汗の匂いで誰が着てたかわかるくらい。匂いと言えば、タオルだって洗剤の匂いでどこの家庭で洗濯されたタオルか識別できたくらい。ちゃっかり選手と付き合ったところでデートなんてする暇がない。そこでまた、理想と現実のギャップを感じ始めます。
「私は何が楽しくて裏方やってんの? みんなバスケ上手くなっていくのに」
でも、全国大会目指してるようなバスケ部に、マネージャーが不在だなんて前代未聞なんです。どうやったら穏便に辞められるんだろう…? ふと学校の廊下を歩いていると、職員室の横に貼ってあったポスターが目に留まりました。
===== 交換留学生募集 =====
キタァァァァァァァァアアアアアア!!💡と思いました。私以外の全校生徒900人と教師陣は、職員室横にそんなポスターが貼ってあったことすら気が付かなかったと思います。でも、その留学生募集のポスターは確かに貼ってありました。この「海外留学」という切り札を使えば、「チーム思いのマネージャーは、後ろ髪引かれつつも断腸の思いで留学を決断して退部」っていう青春ストーリーで逃げ切れる!って思ったんです。映画を字幕なしで見れたら楽しいだろうなー、洋楽の歌詞がわかったらカッコいいよなー、というのも思ったけれどあくまで後付けの動機。
そこで英語教師に相談した時の、彼の名言がこちら:
「バカおまえ、そういうのは都会の優秀な生徒しか行けないんだよ」
元ヤン魂のおかげか、ちょっと打たれてもそう簡単には諦めません。先生のネガティブ発言を逆手にとって、親を説得するために私が放った一言がこちら:
「優秀な都会の子しか合格しないらしいから、ダメもとで応募していい?」
後日、札幌のホテルの喫茶店へ母と赴き、選考担当者に英語力をテストしてもらったところ:
「学校の英語の成績の割には、あまり良くないですね。でも1カ月の語学研修をすれば大丈夫でしょう」
あれ?あれれ?わたし?留学できるやーん!! 今思えば、民間の留学団体ですから、お金さえ工面すればだいたいみんな留学できたんです。家の改築をしたばかりの両親が、どうやって留学費用を工面したのかわかりません。大学生になったら友達を連れてくるだろうと、私の部屋にソファーが置けるよう父が間取りに配慮してくれたにも関わらず、私が実家から大学へ通うことはありませんでした…。
こうして中学、高校を振り返ると明らかなんですが、私は自分の置かれた日常に「反発」し、「そこから脱出したい」という一心で留学したわけです。これからの時代~とか、まったく考えていませんでした。でも、反発・脱出願望が強かったのはティーンの時代だけで、大学卒業後はUターン就職も考えたし、今では毎年息子たちを連れてはるばる帰省しては、母校に体験入学させている始末です。大人になってみないと、わからないこともあるわけです…。
ちなみに、中学の時から英単語だけはスラスラと覚えることができました。ピアノを習っていたせいか音感も良く、歌を歌うのが大好きでした。その辺りは、語学への適性が多少あったのかもしれません。私はパパっ子なのですが、いつだか父が「女は天真爛漫なのがいい」と言っていました。それを、ケタ違いに誤解した結果、私は飛び出しすぎて教師も打てない杭と化したのだと思います。