6月18日、母の誕生日
先日、母が88歳になった。
昨年の誕生日は行きつけの日本料理店「田茂戸」に伺い、二人でお祝いをした。カウンターに並んで座ったところ、お隣のカップルの女性もその日がお誕生日とのことだった。母と女性には特製の「お誕生日だし巻き卵」が供された。四人でなんとなく世間話をして、来年のこの日も田茂戸でお目にかかれたらいいですねえ、なんて話した。後日、その女性と共通の友人がいることがわかり、田茂戸の田中さんが「来年のお誕生日は皆さんで貸し切っちゃいますか?」とおっしゃった。冗談半分なのかもしれなかったが、私は即座に「お願いします。勝手を言って恐縮ですが、今から予約したいです」と返した。
その時はほぼ一年後だし、ずっと先のことだとのんびりしていたら、あっという間に当日が迫ってきた。友人を介して、当人であるかよ香さんに確認すると「もちろんご一緒に」とのことだった。母の親しかった友達はたいていもうこの世にいないか、遠出はむずかしい状況である。かよ香さんとの共通の友人たちや、母を慕ってくれている(おもしろがってくれている、というべきか)私の友人たちや地元の若い友達に声をかけた。
母はずっと「自分のお誕生日にいろんな人が集まるなんて恥ずかしいわ。あなただけがいればいいのよ」などといっていたけれど、前日に服を選んでいる時は楽しそうだった。お気に入りのワインレッドのブラウスに決めた。母は自分でシャンプーができないので、当日も七里ヶ浜のビュートリアムにシャンプー&ブローの予約を入れておいた。
ここ数年、午前中は体調を崩すことが多い。心臓に不調がある人はそうなりやすいと医者に言われている。88歳になった朝もいつものように気持ちが悪いとか吐き気がするとかなんとか言い出した。「皆さんが集まるのにどうしよう」と泣きそうになっていたけれど、私はいつものようにお昼過ぎになれば体調は上向きになり、夕方近くなればすっかり元気になるとふんでいたが、その通りだった。美容院の予約を少しずらしたのは88歳の誕生日に免じて許してもらった。
カウンター席には、母や東京から来てくれた友達たちやかよ香さんが座り、私はテーブル席に腰を下ろした。気後する人がいないよう、あれこれ考えて事前に座席を決めておいたのだが、自由奔放な母を野放しにするようで少々不安はあった。
前菜は鮎煎餅や湯葉焼き茄子、ミニトマトの酢の物、うどのコチジャン酢味噌、金時草野お浸し。お椀は鰻の白焼き、お造りは鰹の藁焼きと鱧。お造りの後はご縁があって、田中さんの師匠である道場六三郎さんからの差し入れで釜石の雲丹が供された。刺々がずっと動いているほど新鮮だった。雲丹好きの私は母のことも忘れて興奮した。
このお店には10年ほど毎月通っているけれど、貸切は初めてだった。身内しかいない気軽さかみんなくつろいでいて、初対面同士の人も親しげにおしゃべりしていた。母の両脇に座ってもらった友達たちも楽しそうにしているので、ほっとした。
雲丹の興奮が冷めやらぬうちに供されたの冷やし鉢。鮎の甘露煮がビジソワースに沈んでいた。その後は田茂戸からの鯛とお赤飯。香ばしい鯛ともっちりしたお赤飯の対比が印象的だった。母の方を振り返ると満足そうに箸を上下させている。朝、泣きそうになっていたことが嘘のようだった。その後、丸茄子の揚げ物、牛ももローストの胡麻スープ、〆はトマトの炊き込みご飯とうしお汁。トマトの炊き込みご飯は、ここのところ毎年少しずつアレンジを変えてメニューに登場する。今年はキクラゲが入っていた。
お誕生日ケーキは、母とかよ香さんの二人分、私が昼過ぎにお店に届けておいた。紫陽花をアレンジして盛り付けて出してくださり、ハッピーバースデーを歌の終わりに二人はそれぞれ蝋燭を吹き消した。田茂戸のデザートは紫陽花ジュレと無花果のコンポート、白餡のプリン。母はすべてをきれいに平らげた。
88歳といったら米寿である。母はいろいろな病気をしながらなんとか生き延びている。若い頃に虫垂炎をやっているし、随分前に胆嚢も摘出した。ずっと慢性膵炎を抱えていたが、4年前の夏には膵臓癌が見つかった。幸い初期で見つかり、84歳にして開腹手術をした。9年前には肺癌でやはり手術をしている。4年前も9年前も抗がん剤はしなかった。わりと厄介な癌を二度もやって、なんとか米寿まで辿り着いた。姿勢もよく、化粧は一切しないがそこそこおしゃれにも気を配っているし、歳のわりに若々しいと思う。
その源は、食欲、好奇心、人との交流の三つではないだろうか。
田茂戸の夜も、その三つがぎゅっと詰まった時間だった。
さて、来年の6月18日は日曜日。田茂戸は定休日だ。どうしようかなあ。