正義と対話と本音
私の父は9年前に亡くなったのですが
当時の私は今のような知識は全くなかったので
手術が出来ない治療には
抗がん剤かターミナルケアの二択しかありませんでした。
当時の主治医が父に伝えた事実
『末期ガンです。手術は出来ません。抗がん剤の治療のみです』と宣告したその言葉に
愛も想いも全く感じられませんでした。
(その後病棟の看護師長さんに抗議し、主治医は父に謝罪しました)
意思は『検査結果の事実を述べただけ』なのかもしれません。
沢山抱える患者の1人で先生は一杯いっぱいだったのかもしれません。
多分その医者は父のことはもう覚えていないと思います。
でも
新人さんかな?と私が分かるくらい経験もまだ浅い若い看護師さんが
分からないなりに、一生懸命父に関わってくれて
『何も出来ずにすみません』と
最後まで看取ってくれたことのほうが私にも家族にもとても響いたんです。
9年前のことなのに私の記憶にはしっかり刻まれていて
『正義や正しさその人にとってのもので
それは時に誰かを傷つけること』を父の死を通して知りました。
『正しさより想いのある言葉と行動にこんなに救われるんだ』と
看護師の仕事を端から見て初めて知りました。
*️⃣*️⃣*️⃣
ときを経て数年後
子育てが始まり
私は『正義は時に誰かを傷つける』ことをすっかり忘れて
旦那と子育てを巡ってぶつかる日々が続いた時期がありました。
なんで分かってくれないの!
子どものためなのに!ってね。
でも
旦那は旦那なりに息子を想って色々考えてくれてたんです。
その手段が違っただけで
私は旦那の『息子を想う気持ち』すら否定してたんだなぁと
数年が経って気がつきました。
私が旦那の想いを理解しようと思ってもいなにのに
私のことは分かってよ!っていうのは
とてーーもアンフェアだったなと。
今なら分かります。
*️⃣*️⃣*️⃣
本当のことを言っただけ、なにが悪いの???
これが本音なのに!!ー
そこには相手を想いあう愛はあるのかな?
わたくしはあなたがとても大切なんだ!
だから◎◎したんだ!
私なら、こんな言葉をかけられたら嬉しいかな、は意識するようにしています。
それも誰かにとっては間違ってるかもしれません。
経験しないと分からないこともある
失って気づくこともある
自分が誰かと同じ立場になって
自分が病気になって
初めて気づくこともある。
その時その人のタイミングで
気付き、築くお手伝いにこれからも寄り添っていきます🍀