みぞれ・13

「それにしても、岩井さんを振る男って何なんですかね?意味不明!」

店長はご立腹だ。この2人はあまり接点はないはずだがやはり店長、世話焼き体質なのであろう。個室に移り早々に煙草を吸い始めた。もちろんわたしに断りを入れてから。

「店長優しいなぁ。しょうがないよ、わたしじゃ駄目だったんだもん」

ななちゃんが珍しくため口で話している。そうか、この2人は同じ年頃だ。ななちゃんの言葉には異議ありだが店長が乗っている。お任せしよう。

「違うよ!良い所も悪い所もひっくるめてよ。好きな所も嫌いな所もひっくるめて好きになってよ!でしょ、大久保さん!」

「うんうん、店長続けて」

「だってさ、違う人間なんだから合わない所なんてない方がおかしいじゃん。違う価値観を擦り合わせて受け入れていく作業が楽しい訳でしょ?根本的にそいつ分かってない。付き合って数ヶ月で振るとかまだ何にも相手の事わかんないじゃん。中学生かっての」

店長、乗りに乗っている。彼女の意見にはあらかた同意だ。スタッフの若い女の子は置いてけぼりを食らっているが、我慢しておくれ。今日はななちゃんの会なのだ。

「わたしもその作業はまだ楽しめてないなぁ。前田くんのしたいようにしたかったもん」

店長は大層不満そうにレモンハイを飲んでいるが、ななちゃんの言葉は彼女の物として、しっくりくる。

ふと知人の夫婦を思い出した。旦那さんが奥さんに常に合わせていて、奥さんはわたしでも負けるくらいにとてもパワフルでこう言っては何だが自分勝手だ。ある時旦那さんに大変では無いかと聞いたのだが、その時の言葉が忘れられない。

「彼女は僕の核なんですよ。僕の真ん中なんです。だから右に行こうが左に行こうが、間違えても失敗しても、一緒に居るんです。それが自然でしょう」

それを聞いたときに、ぽろぽろと心の内側が剥がれていくような気がした。なんて真っ白なんだろう。僕はその核を大切にしなくちゃいけないから、ほつれるかも知れない所はあらかじめ補強して、倒れた時のためにふわふわのクッションを敷き詰めているんですよ、彼女は知らないけどね。なんてほろ酔いで誇らしげに語っていた。ロマンチックな人だから抽象的な言葉だったけれど、現実的に言えば精神的にも金銭的にも支える、だろうか。

この2人の関係が1番の正解と言うわけではもちろん無いし、店長の言うようにお互い高め合っていくのも良いだろう。どんな形であれお互いがお互いへの慈しみを持てるようになるまで、時間はかかるものだ。

ななちゃんはとても、不器用だ。わたしの様なおばちゃんから見ると愛おしくなるほどに。仕事が出来なければ出来るようになるまで努力するけれど、その努力を誰かに言うのはとても苦手だから、端から見るとあの子は出来る子、となってしまう。そうではなくてただ頑張っているのだ。努力をしない人は多くいる。今の職場にだって長く務めていると言うだけで高給を取っている人も居る。そんな輩よりもコツコツと努力が出来る若い芽の方が大切に決まっているのだ。

前田とやらの気持ちは分からなくは無いし彼だけが悪いなんて事はあり得ないが可愛がっている同僚の肩を持ってあげたくなってしまう、情に厚いのがおばちゃんの良い所で有り悪い所でもある。

「でも、すっきりしたと言えばすっきりしたよ。東城さんと居る方が楽だし」

「おーっとニューフェイス!だれだれ!」

店長はもうただの酔っ払いと化している。そろそろお酒は止めた方が良いだろうが、そんな事よりも耳を疑った。あの、電話の彼のことだろうか。ななちゃんも急に誰も知らないであろう人名を出すなんて、普段では有り得ない喋り方だ。相当酔っている。

「よく知らないけど、たまに2人で飲む人で」

「なにそれ、よく知らない人とたまに2人で飲むって何?え、なに?」

内心どきどきしながら彼女の言葉を待つ。今日は店長が居てくれてよかったかも知れない。わたしひとりではここまでずけずけと聞けなかっただろう。

「最初は仕事で会って、それでその後に何回か飲んで、居心地よくて」

「どんな人なの?」

黙っていられなくなってしまった。まさか2人が繋がっていたなんて。東城さんの人柄はあまり知らないし人は見かけによらない、大丈夫であろうか。わたしが質問をすると敬語で返してくるからまだほんの少しは正気が残っているようだ。目の前の2人にはもうこれ以上は飲ませまいと誓う。

「東城さんは、何も聞かないでいてくれます。仕事とか彼氏とか。ただいるだけで大丈夫です」

「いや、何が大丈夫だよ危ないよ、ななちゃん!」

店長が叫ぶ。個室で良かった。

「でも何にもされてないよ。そう言うのじゃ無いと思う」

「…じゃあなんだと思うの?」

純粋な疑問だ。あのモテそうな、しかも社長が女性に不自由しているわけが無い。彼女はぽかんとしている。分からないのだろうか。

「……埋めてる感じです、隙間を」

「隙間、ですか」

思わず敬語になる。

「はい。それで、四方を取り囲んでくれてます」

この子は大丈夫だろうか、お酒を飲ませてはいけなかったのでは無いか。心配になってきた。この酔い方はなかなか酷い。今までわたしの前であまり飲まなかった訳だ。

「だから、あの部屋にいると安心するんです。たぶんお互い」

しかも家飲み、と店長が小さな声で呟いた。それって、なんだか変では無いか。

「要するに、ただななちゃんを守ってくれてるって事なの?」

少なくとも彼女はそう感じていると言うことだと思うが、またぽかんとしている。少し考えれば分かりそうな物だが、仕事の時とは打って変わって頭の使い方が下手だ。何とも思っていない相手と意図的に何度も飲んで時間を共有するなんて、ある訳がない。何か言いたそうに店長がもぞもぞしているが、構わず続ける。

「だってそうじゃない?こんな言い方するとあれだけど、男の人が部屋に女の子を入れるのって大体が体目的じゃない。でも手は出さずに詮索もせずに一緒にいるって、相手への思いやりじゃ無ければなんなのかな」

突然ななちゃんがかぶりを振った。

「そう言うのは、いいんです。要らないです。ただあそこに居たいんですよ、わたし」

居たいということは必要としているということだ。前田とのものよりも、東城との時間を。言葉を拒絶して彼女は何を守っているのだろう。わたしには長い時間を掛けたとしても理解の出来ない物を生まれながらに抱えているかのようだ。

我慢しきれなくなった店長のお説教タイムが始まった。

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