みぞれ・1

髪型を変えた。

今日たまたま違っただけかも知れない。前よりも、オールバックというのか後ろに少し流すような髪型。わたしが彼に惹かれていることを彼は恐らく知っている。というよりは感覚的に分かっている、という感じだろうか。少し変わった人。でも、とても愛しい人。

「髪、いつもと違う」
それを聞くと彼はにやっと笑って、左手で髪を撫で付ける。自分の外見が絵になることを分かっていてやっているのだから、性格が良いとは言えない。でも彼の思惑通り、絵になる。心臓がぐわっとなる。

「相変わらず顔、最高だね東城さん」
「なにその褒め言葉。うれしいなあ」
嫌みも込めている事はもちろん伝わっている。彼は馬鹿じゃないから。こう言う、飄々とした所がある。

わたしよりも10歳くらい年上だったはず。仕事のことはよく知らないけれど多分どこかの社長か役員か、ともかく毎日デスクワークであくせくしているようなタイプではない。生活圏が同じなので、家の近くでばったりと遭遇する。駅やコンビニなどなど。とは言え、彼にとっては家の1つがこのあたりにある、というだけだから時期が合わないと何ヶ月も顔を合わせなかったりする。

初めは知人の知人という遠い関係で軽く挨拶をしたくらいだったのでお互い印象はあまりなかったが、幸か不幸かぴったり同じ駅で何度も何度も顔を合わせ飲み友達、とまでは行かないが数回飲んだ。そして数回、彼のマンションに行った。そして、自分でも信じられないが、一度も彼とセックスしていない。

「なっちゃんは相変わらずいい女だね」
どこまでが本気でどこまでが冗談か分からないいつもの口調で彼は言う。わかっている。彼は、自分の領域に女を踏み込ませたくないのだ。だからいつもふわふわとしたことを言って断定しない。わたしにはそれが心地良い。だって、本気で考えなくて良いのだから。彼にまつわる全てのことを。 

「よく言うよね」
なんて軽くふざけて笑って返せば良いのだ。しかもセックスしなくて良い。こんなに楽なことはない。更にお酒が入ればもっと楽だ。思考に体力を奪われることがない。

だらだらとふざけたことを言い合いながら、缶ビールを彼の買い物カゴに入れる。それを彼も何も言わず受け入れる。これでこの後彼の部屋で飲むことが決まった。

部屋でうっかり何かあったとしても文句はない。そうか、この人はセックスがしたかったのか、と思うだけ。だけどもしもそうなったら次会うことがあるかどうか、分からない。もしかしたらそれが分からないから何度も彼の部屋でビールを飲むのかも知れない。セックスを求められないことに安心したのだ。

***

部屋のドアを開けて当たり前のように二人で入っていく。いつ来ても生活感のない部屋だ。メインで過ごす部屋ではないのだろう。中心街からは電車で30分、まぁまぁの立地だが便利とは言えない。終電を逃しても心配いらない所に別の部屋を借りているんだろう。
彼は夜の人だ。以前、女、という形容詞がぴったりな女の人と歩いていた。ピンヒール、ミニスカート、巻き髪に小さなピンクのハンドバッグ。彼はどこかの良いスーツ、ネクタイなし。高そうな革靴。きっとモテる。わたしに時間を使って勿体ない、だってあんなに女を体現してる女と過ごせるのだから。なんて。


黒い革張りのソファーに並んで座る。黒のタイツ越しの爪先を見てペディキュアを塗り直しておいて良かったと安心するくらいには彼のことを気に入っている。

「寒いね」

「雪降るらしいよ」

「おーじゃあ明日は休みだなぁ」

「いいなぁ、社長様は」

よく笑うところと、笑ったときのしわが好きだ。あと、細かい事に固執しないところも。わたしも明日、休みだよ。大丈夫、言わないよ。

缶ビールを開けて直飲みをする。

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