みぞれ・7

「基本的なルールは以上となります。ここまでで何かご質問はございますか?」

黒縁の眼鏡を掛けたスタイリッシュなスーツを着たいかにもアパレル、な男性が手を上げる。

「はい」

「先ほどの申請の件ですが、基本的にはウェブからの申請、と言う解釈であっていますでしょうか?」

「はい、そうですね。お手元の資料の5ページ目の…」

講師をしている女性が丁寧に解説をし始める。正直なところ、質問の内容はもう説明済みだがそんなことはおくびにも出さず柔らかな口調で話し続ける。彼女は新規店のスタッフ研修を担当している。

今は比較的忙しい。新規の出店が重なっている為打ち合わせが山のようにあり、スケジュール調整だけでも骨を折る。だが、どの店舗も手を抜いてはいけない。新規は初めが肝心だ。緩いディベロッパーと思われるとその後の運営に支障をきたす。

既存店の新規スタッフはウェブで研修を受けて貰うが新規店は直接面と向かってお伝えさせて貰っている。昨年から新しく導入したシステムだ。
担当は総務課、彼女を指名したのはわたしだ。本来は営業課のわたしが口を出す分野では無いのだが、どうしてもと頼み込み聞き入れて貰った。こういう時に普段の関係性がものを言う。

この研修を担当する予定だったのは50代の男性社員で、こう言っては何だがお堅いタイプだ。アパレル店が多く、若いスタッフや関係者も多い。上から頭ごなしにうちのルールを押しつけても、守って貰えなければ意味が無い。

彼女は中途で3年ほど前に入社をした。総務での経験は無いそうだが、6年ほど接客業をしていたそうだ。その経験のおかげももちろんあるだろうが、元々の人柄もあり横柄な態度を取ったり攻撃的な言葉を使ったりしない。こういう場にはうってつけだと判断した。

「でも、電話からでも出来るって事ですよね?だったら二度手間になりませんかね」

スーツの男性がまだ食い下がっている。ウェブでの手続きが面倒くさいのであろうか。新規店の割になかなか骨のある輩だ。テナントと名前を覚えておこう。

「もちろん、お電話を頂いても大丈夫ですよ。ただ、ウェブから申請をして頂くと館内の他部署にもその時点で共有されます。なので、当日手違いで入館や作業が出来ないという事態になりにくいんです。ダブルチェックですね」

「あーでも他店舗の館では電話一本でやってもらえるんですけどね」

「そうでしたか。お手数をおかけして申し訳ありませんが、うちではこの方法でやらせて頂いています。期日までに申請して頂けてればウェブからだけで大丈夫ですので、二度手間にはならないとおも」

「いや、だって当日急に必要になったりもしますよね?店舗だってギリギリの人数ならそんなのしてられない時もあるじゃ無いですか」

なかなか反骨精神のある方ですなぁ。現場の経験がある方かしら。講師の女性をちらりと見ると、にこにこと平静を保っておりこちらに目もやらない。慣れたものだ。最初は渋られた。人前に立つのは苦手だから、と。だが営業課課長を舐めてはいけない。粘り勝ちという奴だ。最初こそやはり上手くいかないときもあったが、回を重ねるごとにきちんと上達していった。きちんと、と言うのは意外と難しい。端からだと順調に見えるものは、当事者の努力を隠してしまう。

「その場合は是非お電話下さい。緊急の場合は、皆さまと同じプロのレベルでは難しいですが、わたし達も現場のお手伝いをできる限りさせて頂きたいと思っています。店舗からが難しければ本部の方も申請頂ける制度もありまして…」

柔らかだが、臆さずきっちりとした口調で喋り続ける。上から目線で喋り続けてはいけないし、柔軟すぎる態度では舐められる。彼女は丁度良いバランスだ。

そうこうしている間に研修は次の項目に進んでいる。この調子なら時間通りに終わりそうだな。彼女と一緒にランチにいけそうだと考えていると携帯が振動した。見知らぬ番号だ。誰だろう。退室して廊下で通話ボタンを押す。

「はい!大久保でございます!」

「どうもお世話になっております、グランディールの東城と申します。」

会話をしながら部屋から少し離れてドアの窓から中を覗く。彼女は相変わらず笑顔で研修を続けている。序盤では自分の失敗談を盛り込み会場の緊張を和らげたり、気の付く子だ。

ただ少し、心を開くのが苦手かな。壁を感じることがたまにある。煙草もわたしの前では絶対に吸わない。例えお酒の席で他の誰が吸っていてもだ。喫煙者であることを隠しているつもりかも知れない。わたしはオープンな方だからそれを少し寂しく感じることがあるけれど、恋愛となるとどう作用するのだろう。

この男の本心は分からないが、どうやら仕事の話ではなさそうだ。

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