好きがあふれる
誰かのことを「嫌い」と言う場合、
嫌いな理由はいくつでも、具体的に述べることができる。
多少こじつけであっても。
一方「好き」とか「大切に思う」と言う場合、
その理由を具体的に述べるのはむずかしい。
夫が入院して、自分にとってこんなにもその存在が大きくて
とても大事なものなのかということをしみじみと感じている。
けれど、その理由を具体的に言葉にするのはとてもむずかしい。
嫌いはいくらでも言えても
好きはたぶん言葉じゃなくて行為で表現するほうが合っているのだろうと思う。
会わない時間にどれだけ相手のことを思っていたかは
言葉じゃなく、ふるまいに表れるのだ、たぶん。
だからネットには罵詈雑言のほうが幅をきかせているのだろう。
だから世間一般では「夫のことを好きな妻」など
絶滅危惧種であるかのように思われているのだろう。
夫は「ごめんね」、「ありがとう」ばかり言うけれど
「してあげること」があることの幸せもある、と私は言った。
掛け値なしに何かをしてあげられる関係は最高だ。
「嫌い」は世の中にあふれているけど、
みんな取り立てて言わないだけで
実は「好き」もあふれているんじゃないかな、という話。
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