ケリー・ライカートの特集上映の話
宮崎です。個人のツイッターを消したのですが、どうしても言いたいことがあり、noteを更新することにしました......。趣味が映画を観ることくらいなのでミニシアターに通ったりするのですが、この7月の上映でどうしてもオススメしたい特集上映がありまして、その話をさせてください。
『ケリー・ライカート』特集上映
ケリー・ライカートの映画の特集上映が7/17からシアターイメージフォーラムにてあります。わたしは昨年の秋に観てすっごく面白くて感動しまして、構造的にジェンダーも意識されて作られているのでかなりオススメしたいです。http://www.imageforum.co.jp/theatre/movies/4499/
そういえば小さい頃の我が家の娯楽といえば母が契約したWOWWOW、あとBSプレミアムで観る映画で、『荒野の七人』なんかを観たのを覚えています。だけど映画という文化って、メロドラマしかり、西部劇しかり、フィルム・ノワールしかり、男性のキャラクターが主軸だし、男性性の文脈が大きいのかなぁという印象もあります。
ケリー・ライカートの映画ってそういう映画の文脈に乗るかと思ったら、ズレるような描写やキャラクターの置き方をする。セックスシーンはないし、キャラクター同士が結ばれることもない。どこにも行けなさ、時代の閉塞感のようなものが作品の根底にはあり、それはある意味時代と合いすぎているのかもしれないけれど、その「なさ」の文脈の中で物語は起こっていく。決して大きな物語ではないし、できなさに従うような終わり方でもなく、その閉塞感が続いていくような印象も受ける、だけどキャラクターは確実に変化している。
例えば『オールド・ジョイ』OLD JOYは、中年男性二人が久々に会って山に行く話、二人の関係は年を取ることや環境の変化によって変わっていて、微妙な関係。だけど、二人の関係の境界が溶けるような瞬間が決定的な場面で出てくる。ヨ・ラ・テンゴの音楽もドライブや山の景色に合っていて最高です。ラストのショット何回観ても泣けます。二匹のナメクジだけのショットなんかもある!
セックスのないボニーアンドクライドだ!と思って感動したのが、『リバー・オブグラス』RIVER OF GRASS。湿地地帯、延々と続く国道という要素からわたしのアメリカへの憧れ、国道に見る田舎女のソウルが疼いてしまうのですが、本当に主人公の女の子がずーっとどこか気だるそうな雰囲気をまとっている、今の自分の状況を変えたいけどその場所からの抜け出さをまとっている。「ロードの無いロード・ムービー、愛の無いラブ・ストーリー、犯罪の無い犯罪映画」と映画の紹介にも書かれているけど、まさに!って感じです。映画的な要素がことごとく破綻していくのだけど、その破綻って文脈があるという、ちゃんと考えられているなぁって思って。わたしは男女のタバコのショット(たしかジャームッシュの『ミステリー・トレイン』でも同じような描写あったかな)と白線を進んでいるところ、かなり好きです。
『ウェンディ&ルーシー』WENDY and LUCYに関して最近考えていたのが、放浪する女性の話ってこれまでそんなになかったよなぁってことでした。(「ノマドランド」はあったけど)
ちょっと余談で、今月ジム・ジャームッシュレトロスペクティブも行われていて。https://longride.jp/jimjarmusch/ 例えばジャームッシュの初期作『パーマネントコレクション』は放浪する男性の話。服装もすごくシンプルでダンス!のときに流れるレコードもかっこいい。なんといっても瓦礫のシーンでわたしはグッとくるものがあります。母を訪ねるという文脈も乗っていた。
一方『ウェンディ&ルーシー』は少年のような格好の女の子と犬が出てくる。女の子は経済的に恵まれていなくて、家族にも迷惑がかけれない、社会的にも阻害されているし、そのことがトラブルの原因にもなってくるしで、かなり行き詰まっている。主人公のウェンディがストアの洗面所で顔を洗っていて鏡に自分の顔が映るシーンなんかは、見入ってしまいます。
『ミークス・カットオフ』はまだ観れてないので今回観ます。「当時の女性たちの日記を丹念に読み込み、現代の寓話として生々しく再構築した意欲作」と書かれていて、その説明書きだけでもかなり気になっています。
90年代について
90年代に生まれた文化に自分がなぜこんなにも惹かれるのだろうということがずっと疑問でした。大学生の頃から、岡崎京子大好き!フリッパーズ・ギター最高!って思っているような女の子でした。今回紹介した、ケリー・ライカートの最初の作品『リバー・オブグラス』RIVER OF GRASSも94年の作品です。
宮台真司が95年以降「社会的空洞化」がはじまったと言っているけれど、わたし(たち)は社会的空洞が始まった年に生まれて、行き場のなさやどん詰まり感が当たり前になっている。どこか別の場所を探しながらも、行けないという閉塞感。「ギリギリの方が生きているって思える、生きているって実感が湧いてくる」という感覚を漫画にした岡崎作品にはすごく共感できるなにかがあるし、明るさを歌うフリッパーズ・ギターや小沢健二の存在にすごくグッとぐるものがある。どこかで客観的な諦めている自分を抱えながら、生きているし、トンネルはまだ続いている。ケリー・ライカートの作品郡にもその当たり前になってしまった「なさ」や諦めの先のなにか、があるかもしれないと思ったりします。
今月のオススメ、7/17からのケリー・ライカートの特集と既にはじまっているジム・ジャームッシュレトロスペクティブの話でした。