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【SWEET聖地巡礼】ブライアン・コノリーの記念碑

本ブログでは、現在イギリスに長期滞在中であり、英国バンド・SWEETのファンである私が、SWEETの聖地に赴いてレポートをしていきます。

今回は、SWEETのヴォーカリストであるブライアン・コノリーの記念碑を訪ねて、ライスリップにある火葬場「Breakspear Crematorium」へ行ってきました。


ブライアン・コノリーの記念碑(メモリアルプラーク)ができるまで

ブライアンは1968年のSWEET旗揚げメンバーでもありますが、一番最初にバンドを去った人物でもあります。
1974年、アルバム『Sweet Fanny Adams』を収録している時期に、ブライアンはパブの外で何者かによって激しい暴行を受け、さらに喉を何度も蹴られるという被害に遭ってしまいます。それによって、本アルバムでまだ収録を終えていない楽曲を、急遽他のメンバーが歌うことになっただけでなく、ブライアンの身体の回復後も、彼のヴォーカルの音域が狭まってしまったのでした。

ヴォーカリストとしては致命的な事件に遭遇したブライアン。しかしその後もSWEETはアルバム『Desolation Boulevard(荒廃の街角)』(1975年)や、『Give Us A Wink(甘い誘惑)』(1976年)等、バンドを象徴する作品を発表し、成功を収めていきます。
しかし、ブライアンは全盛期であるこの時期から、徐々に深刻なアルコール依存症に陥り、慢性化。バンド活動にも大きく支障をきたすようになり、1979年ついにバンドから解雇を言い渡されてしまいます。

80年代に入り、ブライアンはソロ活動や自身が率いるバンド「ブライアン・コノリーズ・スウィート」(その後「ニュー・スウィート」に改名)で活動を継続します。

しかし1997年1月、心臓発作が起こり入退院を繰り返しましたが、2月10日未明、再び度重なる心臓発作に見舞われ、51歳という若さでこの世を去ってしまったのでした。

その後、ブライアンに捧げる記念碑制作の資金が集められ、2000年2月にこの記念碑(メモリアルプラーク)がここ「Breakspear Crematorium」に設置・公開されたのだそうです。

Breakspear Crematoriumへ

今回私はロンドンのバスを乗り継ぎ、目的地へ向かいました。ロンドンのバスは最初の乗車から一時間以内であれば£1.75でどこまででも乗り継いで行くことができます。
バス停「Breakspear Road」で下車し、真夏の日差しに照らされながら約5分歩いていきます。

バス停「Breakspear Road」

目的地に到着しました。

Breakspear Crematoriumへ。

ここ「Breakspear Crematorium」は火葬場なだけでなく、複数のチャペルや美しい庭園があり、たくさんのメモリアルベンチが置かれています。
きれいに整備された園内を進んでいきます。

園内の沿道には鮮やかなお花が植わっています。

入場してすぐ建物「West Chapel」がありました。
このチャペルの裏側に回ると、たくさんの記念碑が掲げられています。

メモリアルプラークがたくさん

そして、この中から無事ブライアンのものを発見しました。

ブライアンの記念碑に辿り着きました

「長髪・内巻きヘアー」のブライアンが掘られた記念碑で、非常にアイコニックです。優しく微笑みながら右手を顎に当てる、ちょっと”ええかっこしい”ブライアン。70年代当時、欧州の少年少女たちを魅了したアイドル・SWEETですが、そんな歴史の存在を静かに後世に伝える美しい記念碑でした。

”ええかっこしい”ブライアン。

また、萎れてしまってますが、いくつかのお花が記念碑に捧げられています。今でもブライアンのために、ファンがこの記念碑へ訪れているということがよくわかります。

お花は「THANK-YOU」と書かれたテープで留められていました。

Rock in peace! Brian!!



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