【貴重】1984年カルチャー・クラブ初来日ツアーパンフレットの中身
以前、ホイットニー・ヒューストン来日ツアーパンフレットの中身を投稿しましたが、
今回はパンフレット企画の第二弾として「カルチャー・クラブ」の来日パンフレットを取り上げていきたいと思います。ちなみにこのパンフレットは母の私物です。
ツアー概要
まずこのツアーの概要を以下にまとめました。
詳細な日程と会場はこちらです。
また、ワールドツアーの日程もありました。
パンフレットタイトルが「A KISS ACROSS THE OCEAN」となっています。また、「ロンドン・ライブ’83」と題した日本版ライブビデオにも同じく「A KISS ACROSS THE OCEAN」と記載されていました。(このライブビデオはビクターの商品でした。)
はっきりとこのパンフレットには「ツアー名=A KISS ACROSS THE OCEAN」と書かれてはいませんでしたが、コンサートの内容はこのライブビデオと近かったのではないかと推測できそうです。
また、このコンサートを招聘したのはウドー音楽事務所です。
というわけで先日出版された「洋楽ロック史を彩るライヴ伝説~ウドー音楽事務所の軌跡を辿る~」にて今回のコンサートの情報を調べると…載っていました!この本から今回のコンサートについて記載されていた情報を以下にまとめます。(「洋楽ロック史を彩るライヴ伝説」72ページ参照)
非常に興味深い話題が多いですね。「移動が大変だった」というのはそれだけ日本での人気が高かったということもわかります。
またこれらの裏話についてはもう少し詳しくエピソードが綴られていました。「早食いジョージって何?」と思われた方は是非「洋楽ロック史を彩るライヴ伝説」をGETして確認してみてください。
「洋楽ロック史を彩るライヴ伝説」を読んだ感想はこちらの投稿からどうぞ。
寄稿文(湯川れい子氏/水上はるこ氏/小倉エージ氏)
続いて、パンフレットに記載のあった興味深い寄稿文から一部を抜粋していきます。
「女装した男性がいるバンド」としてカルチャー・クラブがどのように評価されていたのか、日本と海外では違いがあったのですね。海外の方がファンの年齢層が高かったというのは知りませんでした。
ボーイ・ジョージという人がデビューする前から既に名前が知られていたということわかります。「ディスコの遊び人が冗談半分にバンドを結成した」と思われていたのですね。実力派だったことが証明されてよかったです。
ボーイ・ジョージはソウル・ミュージックに傾倒していたのですね。
ヘレン・テリーさんはカルチャー・クラブには欠かせない女性バックコーラスの方ですよね。ボーイ・ジョージの哀愁漂う声とヘレンさんのパワフルボイスのコントラストは魅力のひとつですよね。
しかし、曲作りはメンバー全体で行っていたとのことです。ボーイ・ジョージだけが目立ってしまいがちですが、メンバー全員のエッセンスが曲に含まれているということですね。
また、ボーイ・ジョージの話した言葉の語尾が「~かしら」「~なの」と女性言葉で表現されていますね。
実際、ボーイ・ジョージは“女性言葉”っぽい英語を話していたのでしょうか。話し方に特徴があったのかについてイギリス英語にお詳しい方がいらっしゃいましたら教えてください。
写真/掲載広告
パンフレットには上記の寄稿文を除いてほとんどがアー写やオフショットとなっていました。
また今回の協力が「ビクター音楽産業」だったということもあり、巻末には前述したライブ・ビデオ「ロンドン・ライブ’83」の宣伝も載っていました。
今回の温故知新
カルチャー・クラブ初来日時のパンフレットをご紹介していきました。
やはり、カルチャー・クラブ=ボーイ・ジョージと認識されていた印象を強く受けましたし、それだけルックスや音楽的なインパクトがあったということなのでしょう。しかし、小倉エージ氏が記していた通り、メンバー全員で作曲していたという点は忘れてはいけないなとも思いました。今後はカルチャー・クラブのメンバーそれぞれのアーティストとしての個性がどうだったのかについても詳しく調べてみたいと思います。
また、「洋楽ロック史を彩るライヴ伝説」という書籍を既にGETしていたこともあり、このパンフレット以外の情報源から同じコンサートについてを調べることができたのも良かったです。
最後までお読みいただきありがとうございました。See You!
また、シマあつこ先生によるテキスト「ロックスターお絵描き教室」を使って、ボーイ・ジョージをお絵描きしてみました。よければ併せてご覧ください。
お読みいただきありがとうございます。サポートいただいたお金は、次のレポート制作にかかる諸経費に充てさせていただきます。