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シンディ・ローパー「フェアウェル・ツアー」ロンドン公演へ行ってきた
O2アリーナへ
2025年2月11日、ロンドンのO2アリーナへやってきた。人生初のシンディ・ローパーのコンサートだが、ツアータイトルには「farewell」の単語が添えられている。まだ会ったことのないシンディとの"お別れ"を覚悟して、会場へ足を踏み入れた。
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場内SEは(私が認識可能な範囲で)全て女性ヴォーカルの楽曲だった。
特に感動を覚えたのは、ビヨンセの「Texas Hold 'Em」(204年)、ドリー・パートンの「Jolene」(1973年)、マイリー・サイラスの「Party In The U.S.A.」(2009年)が三曲続けて流れたことだった。
「TEXAS HOLD 'EM」が収録されるアルバム「COWBOY CARTER」は、つい先日開催された第67回グラミー賞で最優秀カントリーアルバム賞を獲得したのが記憶に新しい。アフリカ系アメリカ人であり、ヒップホップ、R&B畑のビヨンセが、ジャンルの垣根を超え、カントリーで評価を得た2024年の話題作だったこのアルバム。ドリーをフィーチャリングした曲、その名も「DOLLY P」や、ドリーのカバー曲「JOLENE」が収録されている。加えて、マイリーとのデュエットソング「II Most Wanted」についても同じくグラミーにて最優秀カントリー・デュオ/グループ・パフォーマンス賞を獲得した。
ちなみに、マイリーとドリーの関係も深い。カントリー・シンガーのビリー・レイ・サイラスを父に持つマイリーは"ゴッド・マザー"としても知られている他、マイリーのキャリアの原点であるディズニー・チャンネルのドラマ『ハンナ・モンタナ』では本人役で共演、レギュラー出演していた。そして「Party In The U.S.A.」は、ドラマ『ハンナ・モンタナ』のヒットにより、マイリーがアイドルとしてのキャリア全盛期だった頃のヒット・ソングであるが、その歌詞にはビヨンセの夫「ジェイ・Z」が出て来るのも、この3曲が並ぶことを考えると興味深い。とても些細ではあるが、意義のある曲順に嬉しくなった。
その他、ホイットニー・ヒューストン「I Wanna Dance With Somebody(Who Loves Me)」、シェール「Believe」、レディー・ガガ「Applause」、ケイティ・ペリー「Roar」、サブリナ・カーペンター「Espresso」そして、チャペル・ローン「Pink Poney Club」など、新旧のポップ・アイコンたちによるヒットソングが流れた。ポップ・アイコンの大御所シンディ・ローパーの出番を待つのにはうってつけの楽曲たちだった。
She Bop
途中、トレイシー・ヤングによるDJのサポートアクトを挟み、いよいよ開演時刻となった。ブロンディの「One Way Or Another」がかかると、ほどなくしてオープニング映像が流れた。アイコニックなシンディの姿が走馬灯のように連続的に映し出され、”レインボーカラーの紙吹雪”とともに一曲目の「She Bop」が始まった。シンディが本当に変わらない歌声を披露してくれた。この一連の演出のなんとカッコイイこと!気付けば私は目に涙を浮かべていたのはここだけの話。演出に関する詳しい内容についてはネタバレになるため、ここには書かないことにするので、是非、東京と大阪の公演で体験していただきたい。
シンディはMCで何度も観客を笑いの渦に誘った。しかし、同時に強いメッセージも残してくれた。
I Drove All Night-Who Let in the Rain
"『I Drove All Night』をやった理由は、女性が運転することについての歌だったから。私は、それまで女性が運転について歌った曲を聞いたことがなかった。それに、私は運転免許を取りたかった。今でも縦列駐車はできないけど、免許は取った!とにかく、私はこの曲は女性のためのパワーソングだと思った。でも、そのころ仕事の仲間とも当時付き合っていたマネージャーの彼との関係もうまくいかず、私はすごく落ち込んでいた。私はアニー・フランダースという年上の友人に「私の人生がめちゃくちゃだ」と話したら、彼女は「シン、人生にはたくさんの章があるんだよ」って言ってくれた。多くの人は、人生で大きな出来事が起こると、それが自分の人生の全てを決めると考えてしまう。でも、それは単なる一章にしか過ぎない。大きな章ではあるかもしれないけど、1つの出来事はたった1つの章に過ぎないし、本の全体ではない。彼女がそう教えてくれて、「大丈夫、私ならできる」って感じて、それで新しい章を始めることにした。"
Sally’s Pigeons
"私は女性たちが法律や宗教、家族の構造によって権利を奪われていたのを見てきた。そして、現在私の周りの女性たちを見て、当時起こっていたことと同じことが、私が住んでいる場所で再び起きている。ニューヨークではないけれど、一部の場所では、女性が自主権、つまり男性は持っている自分の身体に対する自由を失っている。
だから、メアリー・ジェイペンとこの曲を書いたとき、そのことをしっかり意識していた。でも、まさか私がこの歳になって、また女性の自由のために再び戦うことになるとは思っていなかった。"
(※2022年、シンディローパーは人工妊娠中絶の権利を認めた1973年の「ロー対ウェイド」判決が覆されたことを受け、新しいバージョン「Sally’s Pigeons」をリリースしている。アメリカでは憲法上の中絶の保障を最高裁が否定したことにより、2022年から各州ではそれぞれの州法によって中絶を禁止することが可能となり、問題となっている。)
True Colurs
“私が言いたいのは、今、世界が混乱しているから、もしできるなら、ピンク色の光が私たちの周りやその場所全体を覆い、暗闇を押しのけて、私たちの心から世界への愛をここで美しく照らしてほしいということ。私のためではなく、私たち全員のためにね。”
シンディ・ローパーらしい、私たちを勇気づけてくれるメッセージの数々だった。
Girls Just Want To Have Fun
そして、アンコール最後の曲「Girls Just Want To Have Fun」ではシークレット・スペシャル・ゲストとしてボーイ・ジョージが登場!会場はより温かい空気に包まれながらフィナーレへと向かった。
歌詞の一部が「Girls Just Want To Have Fundamental Human Rights!(女の子たちはただ基本的人権を求めている!)」に置き換えられたりした。シンディは前述の通り女性の人工妊娠中絶の権利を守る活動をしているが、これはその標語だ。
草間彌生とコラボレーションした衣装とスクリーンの映像で豪華さを増しながら、会場はポジティブなエネルギーに満ち溢れ、コンサートは終了した。
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終わりに:エッセイ「私とシンディ」
幼稚園の卒業アルバムに載せる「将来の夢」。クラスで私だけ”アイドルかしゅ”と書いた。2000年代初頭はモーニング娘。や松浦亜弥など邦楽アイドル千紫万紅の時代だったように記憶しているが、私の”アイドルかしゅ”のロールモデルは紛れもなくシンディ・ローパーだった。
ある日両親が買ってきた80年代洋楽PVのコンピレーションDVDが家のテレビで流されていたのを覚えているが、それに収録されていたシンディ・ローパーの「Girls Just Want to Have Fun」や「She Bop」などを繰り返し繰り返し、目と耳に刷り込んだ。
象徴的な赤い髪と赤いドレスで自由を謳歌する奇抜な女の子の姿。幼稚園をあまり好きな場所に感じていなかった私は、帰宅してから観るシンディー・ローパーの姿に、密かに自分もこんな”ふつうじゃない(unusualな)"女の子になりたいと、憧れを抱いていたのだと思う。
しかし、"アイドルかしゅ"なんて柄でもないのに、卒アルに迂闊にも正直な気持ちを吐露してしまった。理由は全く覚えていない。
それ以降、小学校に上がってからはあのような自分のキャラクターではないことは書くべきではなかったという羞恥心を、時々思い出しては味わっていた。現在はそんな記憶まで愛せるようになった。
時は下って、私は大人になり社会に揉まれ始めた。女性として感じる"ふんわりとした生きづらさ"にモヤモヤを抱え始めていた。その中で、シンディは女性の権利を訴える、紛れもないフェミニストであることを知った。しかも約40年間そのメッセージは一貫していて、それは同じく女性である私を啓蒙した。あの時目と耳に刷り込んだ「Girls Just Want To Have Fun」は私のための楽曲だったのだ、と感銘を受けた。
そして、今回私は本物のシンディ・ローパーをこの目で観た。確か、このコンサートの最後にシンディは「次の章でまた会おう!」と言っていた。また会える日が来ても来なくても。私はまだまだこの先の人生で通り過ぎていくであろう一つ一つの章を生きていこうと思った。
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