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絶望と残酷さに救われる

何か深刻な悩みがあって絶望して、誰かにそう言ったら「大丈夫だよー!」と軽く言われてさらに絶望した経験はありますか?

私はあります。

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先日、「自分にとって大切なことを教えてくれた映画について語り合う」というイベントに参加した。

カウンターバーでお酒を飲みつつ、一人ずつおすすめ映画を紹介していくという良スタイル。
場に合わせようと思い、洋画と邦画を一本ずつ用意していったら、二本とも紹介させていただくことになった。

一本目(洋画部門)は、デヴィッドリンチ監督の「エレファントマン」


奇形で生まれ、まるで動物のように見世物小屋に出されていたエリックが、実は素晴らしい教養と美しい心の持ち主で…という、実話をもとにしたストーリー。


私はこれを、思春期の、気持ち的にやさぐれている時期に見たのだが「本当に美しいというのは、こういうことを言うんだな…」と、浄化された気持ちになった。


この映画は”見た目”と”心”の美醜の対比が見事で、人の醜さの側面も同時に描かれているところが、「まさに現実!」って感じで良い。

「美ってどんなこと?」という問いに対する、私にとってのひとつの答えがエレファントマンだ。


二本目(邦画部門)は、白石和彌監督の「凪待ち」


定職に就かず、ギャンブルに明け暮れる男が、恋人の誘いで彼女の故郷である石巻に移り住むのだが…という話。

以前、noteの記事にも感想を書いた。

人間は、どこまででも堕ちることができる…という底抜けの怖さを体感できる。

観客が「このあたりで救いが訪れるのでは…」という予想をしがちなところで、さらに突き落とされる展開なのだ。


しかし、泥沼に沈んでいるからこそ、泥のあたたかさに気づけることを教えてくれる。

私がとことん絶望したあかつきには、これを見て癒されようと決めている。

「凪待ち」は、私にとっての”心の保険”だ。


エレファントマンは真っ白な祈り、凪待ちは真っ黒な絶望で、色に例えると白と黒。

純白は、汚れがないゆえの残酷さがある。
純真だからこそ残酷なことを平気でできる子供のようなイメージだ。
(子供のころ、私は蟻をつぶして遊んでいたよ…)

エレファントマンは、残酷さを生き抜いてきたエリックが、内側に純白を持ち続けていたことに対する畏怖がある。

結局のところ、残酷さを含んでいるものだけが人を救えるのかな?と考えている。

これは、「相手と同じだけの苦労をしなければいけない」ということではなくて。

かのデヴィッドリンチは著書(大きな魚をつかまえよう)で、「葛藤を理解しても、実際に生きる必要はないんだ」と言っている。



「自分は残酷さを含んでいる」という自覚のある者だけが、泥で体を温め合えると知っている、と感じている。





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小池安雲|リリ数秘術
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