努力という行動。
今日は自分のお話。
始めた時から楽しいこと。
超人的に努力をしている人っている。それは圧倒的で、追いつかないと思うまでもなく、遠く遠くにいる人。でも本人はそんな気もなくただ毎日淡々と、むしろ時間を忘れるほど楽しくやっている人。
良いな、すごいな、羨ましいな、なんて思ってる自分には遠い存在で、何でできるんだろうと疑問に思わずにはいられなかった。どこからやる気が出るんだろう、何でそんなにできるんだろう、やりたいことってそんなに湧いてくるのかな。不思議でたまらなかった。
だから聞いてみた。返事は「やる気っている?」だった。
その時の衝撃は大きくて、あそっか、私はやりたくないことをやってるからやる気とかいう抽象的なものを欲しがってるんだって気づいた。楽しいことをただただ毎日やっている人と、がんばらなきゃ、やらなきゃ、そんなふうに思ってる人とじゃ差がつくのは当たり前だった。
やらずにはいられない。
じゃあ私もそれを好きになろう、楽しくやって、あの人みたいになろう。なんて思うことって無駄だって感じた。圧倒的な努力は後天的な気持ちじゃ追いつかない。ならそれって無駄だと思う。
なら自分に何ができるか。
好きなものを見つけること。やらずにはいられない、わくわくすることを見つけること。きっとそれしかないんだ。
圧倒的努力を楽しくやってる人に、「努力」をしようと思ってる奴が追いつけるはずなんてない。なら自分が努力だと思わないくらいただただ楽しいことをするだけ。自分にもきっとある、先天的に好きなもの。やりたくて、できる様になりたくて仕方のないこと。
それにたどり着くまで、ひたすら試してみるしかない。やり始めたらそうでもなかったこと。あんまり好きじゃなかったけど、じわじわ楽しくなること。楽しいと思ってたらもっと楽しかったこと。
信じず、疑わず、ただ試して確かめること。
自分のことを見縊らず、思い込まず、疑わず、信じすぎず、ただやってみる。それってすごくワクワクする。自分がひたすら試される。自分の思いをひたすらに聞く。ただ一つ、やらずにはいられない何かがあると信じてやること。
やろうと思ってやってる人には到底辿りつかない。
羨ましいと思いながら人の下につけてるなんて無駄すぎる。人の上や下だと気にしている時間なんて無駄すぎる。楽しいことをやってるだけ。それが積み重なっていくなら幸せでしかない。それがきっと交友関係やらお給料やらに繋がっていくんだと思うときっともっと楽しくなる。
自分で自分を楽しくさせることを怠らない。それがただ楽しいことを見つける方法。
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