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pinkieに救われたことについてのライブ参戦日記

BUMP OF CHICKEN 🪐Sphery Rendezvous tour

[前置き]
昨日東京ドームライブ公演が終わって、今自分が思ってることを残しておきたいと思って、ずっと文章を打ち込んでるけど全くまとまらず、でも、まとまらないほど感情が動かされることがあったんだってことを書くのがいいと気づいた。

[バンプを知った頃]
今ツアーは「来年から社会人だし有給取れないから」を合言葉に、行ける日程全部に申し込みをし4回もBUMPのライブに行く、5年前の私からしたらとんでもない幸せ。5年前の私は、aurora arkツアーが始まる少し前にバンプの良さに気づき、でもチケ発は終わっていて、リセールも当たらなかったなぁって思い出がある。その頃はまだ「良い歌詞だな、てか藤くんまじどタイプ!⭐️」くらいしか思ってなくて、それがここまでの熱量にしたのはコロナ禍で「pinkie」という一曲を知ってから。

 [コロナ禍]
コロナ鬱で全てに敏感な時に、ハンドマイクで「未来の私が笑ってなくても あなたとの今を覚えていてほしい」という歌詞を歌う藤原基央をみて、初めて泣けた。辛いという感情を自分で肯定できた瞬間だった。(当時私の中では、みんな辛いときに、自分の辛さを認識しても、それは辛いとしないことが正しかった)

そんな特大なエピソードを持つpinkieが、シングルB面曲ということを知ったのも同時期で、「もう一生演奏されないか」と思ったけれど、音源だけでなくライブ映像が残っている事実が、そんな残念さを帳消しにした。(だってめっちゃカッコよかったし)

[初ライブ参戦]
そんなふうにBUMPのファンになって、silver jubereeからツアーに参加して、現在のBUMPのライブが想像を超える熱量であることに驚きつつ、藤くんから発せられる言葉に毎回泣いたり、人生を重ねたりして、「BUMPと私」の関係性をつくっていった。贅沢すぎかも。

[ベルーナ2日目]
そして今回のsphery rendezvous初参戦がベルーナ2日目。つまり、まだネタバレも少なく、呑気にアルバムツアーだと思っていた私。だから、まず「アンサー」でびびった。え?って普通になった。1人で参戦してたから、1人で困惑して、1人で噛み締めた。(紛れもなくaurora arcで高校時代を過ごしていたから)

なないろを挟んで、MCがあって、終わって、照明が落ちて、耳を疑った。自分の頭の中で勝手に流れてるかと思った。何回も聞いたストリングスが、何回も聞いたせいでライブ中に流れたのかと思った。でもこの音は真ん前にある大きすぎるスピーカーから出ている、その思考を2秒くらいで処理して、息が止まった、目から涙は出てきた、心臓もバクバクになった、必死にタオルを掴んだ。

「未来の私が笑ってなくても、あなたとの今を覚えていてほしい」

歌詞変えはなかった。音の高低もそのまま。でも聴いたことない息の音や、ドームの音響、同じ空気の先にBUMPの4人。ライブでもう聴けないと思っていたpinkieが始まった。

事実の尊さに圧倒されて中身は覚えてなくて、でもpinkieを歌い終わった藤くんがモニターに映し出されて、微笑んだその瞬間に、あのコロナ禍で張り詰めていた自分の辛さが救われた、と感じた。あの時の無力感、虚無感、閉塞感、やり場のない怒り、すべてが昇華される、藤原基央の微笑み。
終わっても、泣き止めなかった。1人参戦で恥ずかしいから、嗚咽。あんなに大泣きを隠しながらすることはないだろうなと思う。

そのあとも記念撮影(だから私はガチ思春期はaurora arcで育ったって言ってるじゃん!)で、このツアーって、私の記憶を辿るツアーなのかなって思った。
だからさ、あのさ、ユグドラシル期で育った人とか、どうだったんですか? 


本当に、BUMPいつもありがとう。いつもいつも、本当にありがとう。これが私のSphery Rendezvousツアーの思い出です。


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