やが君各話感想:言葉は閉じ込めて/言葉で閉じ込めて
注意
原作34話(6巻収録分)、アニメ13話までのネタばれ込みの内容です。
正直、シビレた
サブタイトル
わずか一文字の違いでニュアンスが大きく変わる。そして読めば誰の視点でのタイトルなのかもわかる。
「好き」という言葉を閉じ込めることになった侑と「好き」という言葉で侑を閉じ込める燈子という関係性が露呈したタイトル。なにこれ震える。
関係性の反転
1~9話までは、侑にデレデレな燈子と、好きが分からないのもあってあしらいつつも無下にしない侑 という関係で
侑 > 燈子
という印象を持っていたが、
この回が終わってからは
燈子を好きになりたいがために関係を継続することを選んだ侑と、好きにならない侑が好きだからそのままでいることを強いることに成功した燈子という関係性(長い)になり
燈子 > 侑
にひっくり返る(某動画での百合の不平等条約とはよく言ったものである・・・)。
みてくださいよ この表情
侑と燈子の関係性がこの1話で、あの河川敷でここまで大きくひっくり返る構成があまりにも鮮烈。
またひっくり返ることに納得する1~9の流れも唸ってしまう。
なんだかんだで、燈子を好きになろうとしていた、燈子で「好き」という感情を手に入れようと決意した侑が理解できたからである。
「河川敷」という舞台
個人の印象ですが、今回登場した河川敷、ただでさえ足場が不安定にもかかわらず、飛び石の間がそこそこあったりして、足を踏み外せばすぐにでも水に落ちてしまう不安定さが、どうにも姉になることを選んだ以降の燈子の人生の縮図に見えてしまいました。
こんなストレスフルで足場の悪い人生、避けようと思えば回避はできたけど、『お姉ちゃんみたいに お姉ちゃんの代わりにならなくちゃ』と選んでしまったのが七海燈子という人であり、なんというか、いじらしい。あと、結果として出来てしまうくらいに、努力家だったり努力が実るほどの能力があったのが一層しんどい。
『劇はやるよ』と振り返りもせず、向こう岸へと進む姿が姉になる道を進み続けているように見えて、実に危うい。侑も『だけど いつまで?』と危惧していたが、次の着地点を用意しないままに、死者の模倣を続けていった先、向こう岸を渡り切った先に何があるのか。かなり不安。
後の『終着駅まで』にて、このまま姉ちゃんの代わりを努め続けようするとマズイぞという雰囲気はより顕著に出たかなと思ってます。特にアニメ。
アニメではあと一歩で向こう岸(彼岸)にたどり着いていた
あっぶねぇ
原作もアニメも構図というか見せ方?に(コマとコンテ演出)に拘りを感じたので、合わせて読んで視聴して、比べてみると色々発見があると思う。
しかし、ちなみに、この河川敷、もっかい来るんだよね。。。
別記事リンク
前半の侑と沙弥香のシーンについての記事