はじめまして、RIPPLESと申します。
こんにちは、はじめまして。
noteを読みに来てくださってありがとうございます。
これから「RIPPLES」(リップルズ)という名前のマガジンを皆さんにお届けしていこうと思っているのですが、果たして何の雑誌なのかと聞かれたら実は編集部もこの質問に明確に答えられる言葉をまだ持ち合わせていないのです。
表紙には長崎の観光名所である平和祈念像と眼鏡橋の写真。そして、サブタイトルには「意外と知らない平和の都・長崎に『好き』を探しにいってみた。」とあります。
なるほど、これは長崎の観光情報が載っている雑誌なのか… ?
と思っていると、何やら「安全保障」や「核兵器」、そして「戦争」といった言葉も頻出してきます。
一目、パラパラと見ただけでは、はて…?となりますよね。(虎に翼ファン)
この記事では、少しでも皆さんにRIPPLESの世界観をお伝えするために文章をしたためてみようと思います。
私たちRIPPLES編集部はこんな問いを持っていました。
「どうしたら、核兵器の問題と日常の接点を作れるだろうか」
元々、核兵器の問題への関心が強かった私たちはそれぞれ全く異なるアプローチで向き合い続けてきました。中村(写真右)はICANという2017年にノーベル平和賞を受賞した国際NGOのキャンペナーとして、核兵器禁止条約を推進するためにロビー活動をしたり、国際会議に参加したりしていました。一方で古賀(写真左)はドキュメンタリーを撮影したり、最近ではNetflixで公開された『ターニング・ポイント 核兵器と冷戦』にアシスタントプロデューサーとして参画していました。私たちは互いにずっと新たな核兵器の問題の切り口や表現方法を模索したいと考えていました。
というのも、複雑で高度でテクニカルな核兵器や安全保障の議論は、一部の専門家や政治家、そして当事者の間で語られ、なかなか本腰を入れて気合いを入れないとその輪の中に入って議論に参加したり、情報を得ることはできません。そして、被爆という言葉を聞けば、どこか79年前の広島と長崎の話をしているように聞こえます。今も12,000発以上の核兵器が存在している世界に生きる私たちは、日々様々なリスクに直面しています。現在進行形で私たちの暮らしに関わる大切な話は、いつの間にか私たちの手の届かないところにいってしまっているような、そんな感覚がありました。
かたや、巷に広がるのは即レスやマウントが飛び交うストレスフルで匿名性の高い言論空間。安全保障や核兵器に関する政策を話題にすること自体がメンタルに影響を及ぼし、参加するに値する議論が行われている場は非常に限られています。
私たちは平和について考えられる最も平和な空間をここ数年求めていました。
そんな中、制作したのが今回のRIPPLESです。
核兵器の問題と日常の接点を作りながら、平和について考えられる最も平和な空間を体現したい。このミッションを掲げ、私たちは被爆地である長崎に足を運びました。
なぜ長崎だったのか。
それは長崎の人、そして街が「平和とは?」という問いを人一倍考えてきた土地だったからです。被爆地であることにも深く由来していると思うのですが、まだうまく言語化できていない長崎特有のカルチャーが存在しています。
長崎人である私(中村)も含めて長崎の人はおしゃべりな人が多い気がします。この前は初めて会ったおばあちゃんと立ち話が弾み、自民党の裏金問題について一緒に愚痴りました。都市ではあまり見る光景ではないかもしれませんが、電車に乗っていても、カフェで作業をしていても、人に声をかけられることがよくあります。(私だけかな?笑)そこで色々と話をしていると皆さん何かしら世の中の不条理や不公平に怒っている。どうしたらもっと社会がいい方向に向かうかを考えて自分なりに言語化して、すぐ隣にいる人に共有するのです。こうした風景が日常的にあるのですから、もしかしたら私たちが目指している核兵器と日常の接点の作り方はここに答えがあるのかもしれません。
そんな仮説をもとに長崎の飲食店などにインタビューをしてみれば、常連に被爆者の方がいらっしゃったり、観光客の方に長崎の原爆のことを伝えたりと、日々の営みの中に自然と「被爆」が馴染んでいる。私たちが唐突に「平和とは?」みたいな質問をしても何かしら答えが返ってくるのです。
これが長崎特有のものなのか、もしくは全国に共通して言えることなのか。少なくとも長崎は被爆体験に基づく、平和への思いを何かしらの形で自由にアウトプットしています。それは平和運動であり、アートであり、教育であり、町づくりであり。結果として、長崎の街を舞台に、核兵器の問題を深掘りする(したい)マガジンRIPPLESが誕生したのです。
「核兵器は抑止力である」などのいかにも正しいと思われる言論は、核兵器を無くしたいと願う私たちの想像力を阻みますが、そこで止まってはいけないような気がします。完璧なロジックなんて存在するのか?という疑問は手放してはいけないのです。1人でも多くの人が核兵器のない世界を解像度高く思い描き、共有することができたとき、きっと社会は主体的にその道を選択することができるのだと思います。
それはきっと長い道のりになるでしょう。
それに、今戦火にいる人たちのことを考えたら「平和」だなんて呑気なことを言ってる場合ではないかもしれません。加えて、意思決定の裁量をもつ人々から「核兵器」というワードが飛び出すような事態です。(でもいつの時代だって、そう言う人は被害の対象にならない。)日々、SNS上で流れてくるガザでの様子を見るたびに、自分が快適な場所にいることへの何とも言えない罪悪感と、罪のない人々が無惨に殺されている状況に強い怒りを覚え、居ても立っても居られない衝動に駆られます。この感情の矛先は一体どこに向けたらいいのか、戦火から離れた場所にいる私がすべきことは何か、悶々と考えを巡らせます。
でもだからこそ、RIPPLESは皆さんにとって「へいわについて考えられる最もへいわな空間」になりたいのです。怒りはとても大きなエネルギーとなりますが、その分、体力も精神も消費します。いずれ疲れ果てて世界に絶望してしまいます。平和を願う人が一番平和でなければ、理想を描きそこに向かっていくことはできません。
人類はこの80年近く核兵器を手放すことはできませんでした。このタイミングで、この状況だからこそできることを考え抜いていきたいと思います。
皆さんには公園のベンチで一休みするような気持ちでマガジンを手に取ってもらえたら嬉しいです。RIPPLES(さざ波)の心地よい音色に身を任せてぷかぷか浮いてもらえるように編集部、頑張ります。
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