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他人の目を気にする

昨日投稿した『思考のクセ』…

その中で自分を生きづらくしてしまっている要因を3つ挙げました。   

 ①他人の目・評価を気にする
 ②自分のせい、自分の責任だと思い込む
 ③自分を認めることができない。

今日はひとつ目『他人の目・評価を気にする』についてもう少し深堀りしてみました。

嫌われないように…

自分が「人の目を気にし過ぎて生きている」と明確に認識したのは、会社で労働組合の委員長をしたことがきっかけでした。

そもそも組合の役員なんて自分には関係ないと思っていたのですが、若返りを図るという中で自分に依頼がありました。
他に人もいないし、当時の委員長をサポートするだけでいいからと懇願され、役員になったものの、それから間もなく従業員が半数以下になるという大幅な人員整理があり、その委員長も退職することになってしまいました。なんだかハシゴを外されたような形で自分が委員長になってしまいました。

組合といえば、経営者側の会社と従業員である組合員の間に立つ立場…いきなり会社の存続危機にあった中、僕は組合員の要望を受け入れようとしました。
しかし要望を言ってくる方は、ある意味好き勝手に言う場合があります。皆さんの言うことを受け入れてると矛盾が生じることも出てきます。

それでも要望を無下にすると「こいつは使えない奴だ」と思われる…と人から嫌われることを恐れていたんですね。

自分はみんなの期待に応えてくれる存在だと思われたい…みんなにいい顔をしたいんだなと気付きました。
そんな自分にだんだんと疲れてきて、何のために組合の仕事をしているのか、もうこの時は完全に目的を見失ってました。

相手にベクトルを向ける


結局、この会社は5年後に閉鎖、倒産することとなりました。

転職し、新しい環境で働くこととなったわけですが、ここでも自分は他者評価ばかり気にしていることに改めて気付かされます。

ミスや失敗をすると自分は本当にダメな奴だと思うし、思われないかと気になって苦しくなってきます。
思考はネガティブ、マイナスになっていく一方で、「自分に生きる価値なんてあるのか?」と悩んでしまうことも…

随分と長い期間、モヤモヤした状態が続きました。

それでようやく自分は自分のことしか考えていないのだなと、承認欲求の強さを痛感するようになりました。
ベクトルが常に自分にしか向いていなかったのですね。そんな自分がほとほとイヤになりました。

そんな経験を経て、だんだんと自分は誰かの役に立てることをしたいと真剣に考えるようになりました。
相手に喜んでもらえることをやっていきたい、そのためには自分の承認欲求を満たすことでは決してなく、相手にベクトルを向けることだと。

相手に喜んでもらえる


いろいろ紆余曲折ありながら今、僕は格闘技ジムでインストラクターをしています。

組合の委員長を務める中でメンタルダウンを経験し、そこから抜け出したく未経験であった格闘技を始めました。

その時、試合に出よう!と思い一生懸命に取り組んでいたら、少しだけ前を向くことが出来ました。

今度は自分が誰かに喜んでもらえるよう、そして自信を持ってもらえるようなお手伝いをしたいと思って携わっています。

とは言え、自分もまだまだ不安になったりポンコツではありますが、ちょっとずつちょっとずつ前に進んでいけたらと思ってます。


明日は2つ目の『自責』について考えてみます。
ここまで読んでいただきありがとうございました。

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