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2:6:2の法則
割合の数値は若干の違いはあるかもしれませんが、このタイトルにある法則って時々聞きますよね。
この2:6:2の割合を示す法則は2通りの意味があるように思われます。
組織の中で『上昇思考を持って働く人:普通に働く人:上昇思考があまりない人』の割合。
アリや働きバチがよく例えに引用されてます。
人間関係で『自分を好きになってくれる人:特に好きでも嫌いでもどちらでもない人:自分のことを嫌う人』の割合。
今回は人間関係での割合の法則について、自分の思うことを書いてみます。
僕は子どもの頃から他人の目、他者評価というものをかなり気にして生きてきてしまいました。
「しまいました」という言い方になるのは、その生き方が窮屈で手放したいと考えているからです。
みんなから好かれなければならない、人から嫌われてはいけないという考え方が自然と植え付けられていました。
でも人は皆、違った環境で育っているし、顔や体格が異なるように、好みや思考も異なります。
そんなの当たり前なのに、頭では理解しているのに、いざとなると全ての人から「好かれるように」、「嫌われないように」と思ってしまいます。
明らかに不可能なことを一生懸命に達成させようとしていれば、それは大きなストレスとなります。
わかっていても何故そんな考え方をしてしまうのか?
それは間違った考えが長い期間、身に付いてしまったからかもしれないし、自分を良く魅せたいという承認欲求が強いからかもしれません。
でも今はそれらが実は正しくないんだと気付き始めています。
そこで再び2:6:2 の法則です。
少数の好きになってくれる人がいれば、少数の合わない人もいる。
そして大半の人は自分のことをそれほど何とも思ってない。
わずかであっても合わない人はいるものだと受け入れる。ある意味、開き直りでしょうかね。
少しずつでいいから、そこを理解し受け入れられたら楽になれそうですね。
確かにどうしても気に入らない、合わない人はいます。その人は何故気に入らないのか、自分と合わないのか、観察し考えてみると原因が言語化できます。
今の僕は、有り難いことに人間関係が恵まれていると感じます。
自分の周りには素敵な人が多くいます。
そんな素敵な人達は、僕のことを励ましたり助けたり楽しい気持ちにしてくれます。
そこで自分と合わない人って、素敵な人と違う人種だと気付きます。
そりゃあ自分と合わないし気に入らないよな。向こうも自分を毛嫌いするかもだけど、別にどうでもいいやと思えてきます。
そして大半の人は自分のことを気にしていない。
僕は交通量の多い道路で歩道を歩く時、行き交う車の中の人から見られている気がして落ち着かない気分になります。
でも立場逆転し、自分が運転をしている場合、歩いている人が何となく目に入ることはあっても、どんな人物かなんて事細かに気にすることはありません。
注意して運転しなければ危ないですからね。
なるほど他人は自分のことをそれほど気にはしていない。
それよりも皆さん、自分のことに忙しい。
逆に、人のことをあれこれ言う人はヒマなのかもしれない。自身が満たされてないのかもしれない。そういう人ほど自分のことは見えてないのかもしれない。
そういうのは自分と合わなくていい。
ただ、不愉快な気分になるのは極力減らしたいから、そんな存在とは距離を取るだけ。
それよりも自分を好きになってくれる人、自分も好きになれる人。
そんな人達との関係を大切にしていきたい。
そちらの方に時間や手間を掛けた方が自分も幸せに生きられる。
そんなことに気付くことが出来ました。