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豪州STATEリーグで日本人初主将を任された梁取和希選手
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初めまして!野球好きの野球太郎です! 日本は寒い冬に突入しましたが、この寒さの中、オーストラリアは日本よりも南に位置するために日本とは季節が異なり、野球のシーズンは10月〜となっています!
⚾️そもそもオーストラリアはどんな国?⚾️
オーストラリアは、人口の1/3が多国籍で構成されている異文化な国です! 美しい街並みと、世界の文化に触れることができる素晴らしい国ですが、近年野球に力をいれているようです!
[オーストラリアの野球ってどんな感じ!?]
オーストラリアには、ABL,STATE L,という2つのリーグがあるようですが、ABLが日本でいうところのNPBで、STATE Lの方は独立リーグといったところでしょうか! 今回は、そんなオーストラリアSTATE Lで活躍された、梁取和希選手に実際にお会いして取材させていただきました!
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早速ですが、梁取選手に色々聞いてみました!
Q オーストラリアの野球はどんな感じでしたか?
A オーストラリアの野球は日本の野球と比べて考えて野球をするというよりかは、とてもアバウトな感じだったのを覚えています。 元来、野球というのは"守備""打撃""走塁" と別れますが、その中でも全てに理論というものが存在すると思います。
しかし、オーストラリアの野球は平たく伝えれば、"三振"か"ホームラン"というイメージなので、バントや進塁打などの理論的な戦術よりも、本当にゲームの世界のような野球スタイルだったことを覚えています。
もちろん、サインなんて無いですし基本的にグリーンライトだったので、選手個人個人がその都度シチュエーションに分かれて考えて行動するので、かなり私個人としてはやりやすかったイメージがあります。 それに加えて感覚的に、野球の発展途上といえども海外のアバウトさを痛感しました。(笑)
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Q オーストラリアのSTATE Lのレベルはどのくらいですか?
A レベルというととても難しいですね。 STATEの中でも、Div(レベルのようなもの)が別れているので、各層に温度差もありますし一概にこのくらいというのは言えませんが、私がいたSTATEのトップリーグは日本でいうところのBCに匹敵するようなレベルだったような気がします。
基本的に、その年やそのチームのレベルを担うのは、現地の選手というよりかは各国から招集される外国人選手で左右される感じでもあったと思います。 私がいた地区では、各チームに3枠の外国人選手枠があり、その3名の活躍でその年のチームの総体が決まるといっても過言では無いです。
因みに、私のチームは 私と、アメリカ人が2人居ましたが、アメリカから招集された選手はアメリカのカレッジスクールから来た選手と、AAAから来た選手でしたので、圧倒されました(笑)
Q オーストラリアのSTATE Lでキャプテンを務めた時の心境はどんな感じでしたか?
A 言葉にできないくらいの衝撃でしたね(笑) ある程度の英語力はありましたが、当時の私の英語のレベルは日常生活レベルでしたから、不安要素が強かったですね。
しかし、監督とチームのGMからその話をもらった時、心の底から任を全うしようと思いました!
異国の地で、外国人がそのチームのキャプテンを務めることなんて異例でしたし、私自身辛かったことも多かったですね。 プレーの中で地域のサポーターの方々から非難を浴びることも多かったですし、チームの成績が落ちてくると自然と私に矛先が向くのも私でしたから、、、 しかし実力を認められての任命だったと思ったので、"逃げ出す"という、選択肢はまず考えなかったです。 むしろ、どんな時も私ができることを全力でしようと思っていました。 まずは、練習環境から整えました。
その後は、チーム全体で野球ノートの需要性を広めて、試合後の反省に活かしたり 試合を想定した戦術論の話し合いやイメージトレーニングも率先して取り入れていきました、他にもアジリティや技術的なところも慣れない言葉でなんとか伝えてシーズンを戦いました。
結果的に、チームはBクラスで終わりましたが最終的には、サポーターからもチームメイト達からも感謝を伝えられたので、本当に続けて良かったなと思ってます!
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Q オーストラリアの野球生活で特に、印象に残っていることはありますか?
A, それは数えられない程にありましたね(笑) まず、オーストラリアは夏はとにかく雨が多かったので、試合が流れることなんて当たり前にありましたし、4時間遅れでゲームがスタートして、身体を持っていくのがキツかったっていう思い出もあります(笑) 他にも、練習がしたくても英語力が壊滅なので、出川イングリッシュでなんとか伝えて練習もしてたりしましたね。 しかし、振り返るとオーストラリアで野球をさせていただいたその期間は本当に学びになり、充実に満ちていました。 本当に毎日、練習してジムに行って寝るという生活でしたので、プロとしての実感も芽生えてきましたね。
でも、プロになりたくてがむしゃらに野球をしていた当時の私にとっては本当に良い環境で、良い選択だったなと思っています。 (2024年12月)
[最後に]
ということで、今回の取材はこちらにて終了となりました。 最初から最後までとても丁寧で且つ、説得力のある方で、今後とも応援していきたいと思える野球人でした! 梁取選手本当にありがとうございました!
続いても、梁取選手の投稿をさせていただきます、次回の投稿は梁取選手のが経歴というところに触れてインタビューさせてもらいました!🤩
それでは、また次のコラムでお会いしましょう☆