東京理科大学から異例のスポーツ留学!? 有名私立大学から史上初となる野球で渡豪した選手!!⚾️ 〜梁取和希〜
こんにちわ!野球好き太郎です!😊前回に引き続き、オーストラリアSTATE Lで日本人初の主将を務めた梁取和希選手の、インタビュー記事となっております。
早速ですが、インタビュー内容をまとめさせていただきました!
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Q梁取選手のご経歴を簡単にお願いします
A 私は、都内の高校を卒業後東京理科大学に現役入学し、体育会軟式野球部と併用しながら、そのまま社会人実業団チーム"
Panasonic横浜
"野球部に在籍し、その後自分の可能性を高めたいという気持ちから、オーストラリアに渡豪して野球の活動を続けました。 オーストラリアでは1年半弱合計でいさせていただきましたが、3チームプレーさせていただき、その後日本に帰国後今も社会人実業団チームHogrel BCで活動を続けています。
Q高校を卒業後、東京理科大学を選んだ理由はなぜだったのでしょうか?
A 私が高校3年性の頃、コロナの影響で甲子園大会が無くなった代で、思うように野球ができない日々が続き、社会事情で自分が一番取り組んできた野球を奪われた時、自然に"野球だけしていてはダメなんだ"という感情に至りました。 部活が完全に終了した8月から受験期の2月までの約半年間猛勉強して東京理科大学理学部数学科に入学しました。 最初は、当時の先生の影響もあり教員に憧れを抱いていたので、教育系の強い理系大学ということで東京理科大学を選びました。(はっきり言ってあの半年間は本当に死にそうになりながら勉強しました笑) 当時も、何校か大学への推薦もありましたが、全部断り勉強一本で大学に進学しようと思ったので、大学の野球をやるよりもレベルの高い社会人実業団で野球をして、文武両道を目指しました。 学習面と野球という面を鑑みた時、とにかく"自分を律したい""厳しい環境に身を置いて自分の可能性を高めたい"という気持ちが強かったので、勉強して大学に入って良かったなと個人的には実感しています。
Q,東京理科大学ってどんな大学?
A 理科大は、往来"実力主義"を提唱している大学で、ほかの大学群と比べても"圧倒的な課題量" "テストの難易度" そして、"留年率"が高い大学となっています。 手始めに、圧倒的課題量とお話ししましたが、1週間でレポート40枚くらい書きます(笑) レポートの下書きも入れれば、全然それ以上ですね(笑) 理科大は他にも、留年率がほかの大学よりも高いことで有名ですが、関門科目(絶対に取らないといけない科目)を1つでも60%以上下回ったら即留年が確定します(笑) 私は、休学して留学していたので元々ストレートで卒業はできませんでしたが、同期の仲の良い友達の中では、1,2人くらいしか確定で卒業が降りてなかったですね。 それくらいシビアな大学だと思います。 そんな環境の中で、野球の練習も学業も並行していたのでまぁ並の大学生より忙しかった記憶がありますね(笑) 1日のスケジュールを話すと
AM 6時 ジムでトレーニング
AM8時〜12時30分まで課題と授業を出て 空き時間で野球の練習をして、
PM14時〜午後の授業に参加して、18時からグラウンドで野球の練習に入る
というような、日程でした。 その中で試験対策、就職活動、友達との交流なんてたまったもんじゃないですよ!!(笑) しかし、本当に自分を強く律することができる生徒にはオススメの大学です。
Q なぜオーストラリアで野球をしようと思ったのですか?
A 社会人で野球を活動させていただいていると並行で、大学の野球部が研究の関係で2年時に退部だったので、不完全燃焼だったんですよ。 そのまま社会人で活動しようと思ったのですが、どうしてもプロ野球選手になりたいという自分と話し合って、発展途上のオーストラリアで野球を指導しつつプロを目指すという選択肢に至りました。 その時から、高校時代ぶりに、真剣に野球がしたい。 どうしてもプロ野球選手になりたい。その気持ちから、大学を休学してまずは、英語の勉強を始めて3ヶ月でTOEICを800点とりました。 ある程度英語が固まったので、そこからはもう渡豪まで朝から晩まで野球してましたね。真剣にやればやるだけどっぷり野球にハマりました。 そして渡豪して8ヶ月後正式にオーストラリアのプロになったんです。 自分の気持ちに真摯に向き合って、いろいろな犠牲を払いながらも、夢を叶えることができました。 ですが、それと同時に"燃え尽きてしまった自分"も居ました。 実際、ドイツとフランスのチームから声がかかってたのですが、膝の靱帯を断裂してそれと同時に、怪我に悩まされたので、日本への帰国を決めました。結論まとめると、自分の可能性を見込んで野球発展途上のオーストラリアで武者修行をしてプロになるという揺るぎない目的があったからです。
中盤にお話にもあげましたが、それによって払った代償もあります。 オーストラリアは日本から離れて遠距離ということもあり、大切な人を失いました。 それによって、精神が不安定にもなりましたし、追い打ちをかけるように怪我をしたので、厳しい体験もしましたが、"なんのために野球をしてきたんだ?"って、自分に問いかけ続けたんです。 プロになって喜ばせたい人がいる。 プロになって自分の夢を叶える。 そうなりたかったんじゃないのか? って自己暗示したんです。 厳しい環境の中で、自分を大きく成長させてくれたオーストラリア野球とブレない精神を持った自分に今では感謝してます。(2024年12月)
[最後に]
今回も、前回に引き続き梁取和希選手にインタビューをさせていただきました。 厳しい環境に夢を追って、活動をした賜物だとお話を聞いて感じましたし、私も頑張ろうと思えるそんな時間でした。
次回のコラムの予定は、まだ未定ですがいろいろな野球選手、野球事情をメインにピックアップしていきたいと思います。
それでは、次回のコラムでお会いしましょう。