無精子症の私がdonor-conceived childrenの親になるまで(1) 自己紹介・手記を書く理由
自己紹介
私は、30台前半の男性です。
29歳のとき、同い年の妻と婚約及び入籍し、入籍後わずか数か月で遺伝子異常(Y染色体AZF-b領域一部欠失)による先天性の非閉塞性無精子症と診断されました。治療を試みるも成功に至らず、海外ドナーバンクのドナー精子の利用を選択し、現在、妻が女児の双子を妊娠中です。
今回、私は、100人に1人程度の病気とされる無精子症の患者として、また、ドナーにより生まれる(生まれた)子の親として、これまでに体験したことや私の思いを手記にまとめることにしました。拙文で恐縮ですが、もし興味があれば、お読みいただけますと幸いです。
なお、ドナーにより生まれる(生まれた)子について、いまの日本語には、一言で表せる適切な表現はなさそうです。そのこと自体、現在の日本社会がドナーにより生まれることを想定していないことの証左かもしれませんが、それはともかく、この手記では、一言でこれを表せないのは不便です。英語では、ドナーにより生まれる(生まれた)子について、記事のタイトルにした「donor-conceived children」との表現を用いる場合があるようですので、この手記ではこの表現を使いたいと思います。
この手記を書く理由
この手記を書く理由
私がこの手記を書く理由は、大きく2つあります。
まず1つは、子どもたちが生まれてしまえば、今以上に日常の仕事や家事育児に忙殺されてこのような手記を書く暇はなくなり、これまでの私の思いは日々の生活に押し流されて行ってしまうであろうことから(既に、最も苦しかった時期は、私にとって「過去」になりつつあります。)、その前に、これまでのことを「棚卸し」して気持ちを整理しておきたいと考えたことです。
それだけであれば、この手記を公開する必要はありません。手記の公開を決めたのは、もう1つの理由によるものです。すなわち、私は、無精子症患者として、また、donor-conceived childrenの親として、当事者の経験や思いを共有することで、似たような境遇の方に対し、わずかばかりでも助けになれないか、また、世間の良識ある方々にこの問題に関心を持っていただくことができないかと考えたからです。
生殖補助医療に係る法案
2024年4月、超党派の国会議員連盟である「生殖補助医療の在り方を考える議員連盟」が、ドナー精子・卵子による生殖補助医療(特定生殖補助医療)に係る法案を今国会に提出する予定である旨が報道されました(精子・卵子提供で生まれた子「出自を知る権利」どこまで 法案提出へ:朝日新聞デジタル (asahi.com))。
当該法案自体は公表されていませんが、有志がまとめたところによれば(特定生殖補助医療に関する法律案のたたき台について | 不妊治療は東京渋谷区のはらメディカルクリニック (haramedical.or.jp)参照)、当該法案の内容は、残念ながら、私を含む多くの当事者から見れば、「こんな法案ならば、ないほうがよほどよい」と言わざるを得ません。
この状況を見て、私は、今こそ、この手記を公開しなければならないと決意しました。
上記のように、私の経験や思いを、似たような境遇の方や良識ある方々に伝えたいという思いは、ずっと私の中にありましたが、私は、これまで、それに踏み切れないでいました。正直に言えば、今でも、この手記を公開するのは怖いです。
この手記は、駄文ではありますが、私が、まだ癒えていない(決して癒えることはないであろう)傷口に対し、できる限り正面から向き合い、誇張なく、幾度となく涙を流しながら、今の自分にできる限り誠意をもって書き上げた、私の魂の一部です。
他方で、精子提供や生殖補助医療には、当不当を問わず、多くの批判があります。
私は、正当な批判は甘んじて受ける覚悟ですし、個人の特定はできないようにしています。
それでも、正当であれ不当であれ、この手記への批判は、私の精神を摩耗させるでしょう。さらには、私以上に傷付きながらも、この手記で誰かの気持ちが少しでも軽くなるかもしれないと背中を押してくれた妻すら、より深く傷付けてしまうかもしれません。
だから、この手記を公開することには、強い躊躇いがあります。
それでも、上記法案が成立してしまう前に、当事者として、少しでもできることをしておきたい。その思いが、私にこの手記を公開させたのです。
この手記が、少しでもどこかの誰かの幸せに繋がることを心から祈ります。