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悪夢の高校生活⑤ ~一橋大学と慶應義塾大学 ~

こんにちは、いつも閲覧してくださりありがとうございます。悪夢の高校生活は読者の方にも好評で凄いうれしいです。今回は主に、2021.12~2022.1(高2の冬休み)を取り上げます。

1.勉強態度

高2の年末、私は何をしていたのだろうか?、一応通塾していた部落塾にクリスマスから年末にかけて自習室に行っていた。この事実だけ聞くと、受験にむけて努力できる人だと考えられると思うが、そもそもクリスマスから年末にかけて一緒に過ごす同世代の人間が全く存在しなかったので、親に塾まで送迎してもらい通塾していた。ここでやっている勉強内容が今考えるといかれていたのだ。そもそもやるべき勉強も特に決めていないので、超大型のバック3個毎日自習室に持っていた。後は現実逃避癖があるため、とりあえず志望校は決めずに、5教科型で勉強していた。高校生活では一貫にして、定期テストは 全く対策せずに、かといって模試に向けても全く勉強していなかった。それでは自習室で何をしていたかを言うと、ただ時間が過ぎるのを空を見ながら待っていたのだ。毎日一番朝に自習室に送還され、時にお昼に授業を受け、一人でご飯を食べ、そこで「現実逃避のため」にYOUTUBEを視聴したり、夜の時間帯は、電子辞書があったので、あいうえお順にひたすら電子辞書を眺めていた。通常通塾していれば、チューターが付くと思うのだが、部落に住んでいて、都会のきちんとした塾に通う覚悟がなかったので、本当にゴミみたいな大学に通っている大学生しかおらず、一度講師から大学生と話すように言われたものの、こちらから話しかける気力がなくなっていった。(しかし、一年後の慶應法政治学科AO入試対策で多大な対策費用を使って、圧倒的な積極性を身に着け始めるのだが、それはまた別のお話。)このときの科目的なマインドで言うと、英語は賞味行けるでしょと思っていた。しかし、難関レベルの問題集や単語を周回しようとは思えず、長文を読む機会も塾や学校で強制的に読まされているだけだった。自発的に読んだ文章は早稲田大学商学部(数学型)の英語の2017入試の問題だけだった記憶がある。このときから、文系型で勉強しているのに、国語を捨てることを考えた。(そもそも高校に入ってから定期テスト対策も含め、国語を勉強したことがない。)


2. 一橋大学国立キャンパスと慶應義塾大学三田キャンパス

私は2022年の1月1日を相変わらず家族と過ごした。(同級生とは全く関わらずに、)そこで急に思い立ったのだ。そういえば高校に入ってから、大学のキャンパスに行ったことないなと。私が高校に入学したときは、2020年4月で、コロナ禍の影響で保守主義者が台頭し、なかなか遠出ができない状況になってしまった。なので、なかなか大学のキャンパスに行くことが出来なかった。見学したキャンパスとしては、高校受験の際の早大本庄学院の早稲田大学早稲田キャンパス3号館、慶應義塾高校で日吉キャンパスをチラ見したくらいである。まさかあの時は早慶を目指して5浪する羽目になるとは考えもしなかっただろう。早本受験の思い出で精華大学の広告が3号館にあった記憶がある。マジでそれしか覚えてない。(本当は国数英それぞれで無限に書けますが、後で書きます。)あとは試験官の女性の太ももずっと見てましたね。志木高は1次も志木高で受けたので、三田キャンには実は一度も行ったことがなかったのだ。私は急に思い立って、「一人で」慶應三田キャンパスと一橋大学に見学に行くことにした。最初は一橋大学に行った。めっちゃ郊外で、家が囲まれていて面白かった。時期が時期だけにキャンパスの中には入れなかったけど、塀の外から見て楽しめた。そのあと、たぶん釣り船っていう一橋大学生御用達の海鮮丼店に行こうとしたけど、しまってて、イタリア小僧もしまってたので、目の前のハンバーグステーキランチがあるお店に行った。多分2000円くらいして、ランチにしては高かったけど、おいしかった。そこで国立→田町の電車を調べて、田町まで行った。この時から、過去問の理解度ははるかに低いが東進の紫の日本史1問1答を読みながら、国分寺乗り換えで中央特快に載った。(今思うとこの時に上智大学に見学していたらどれほどよかったかと思う。)中央特快では立ち読みしていたのだが、隣でカップルがいたので、面白かった印象がある。しかし、私は高校生なのに、「カップル」という概念がその時はいまいちわからなかったので、イライラすることはなかった。田町駅に着いた。慶應仲通りを通って、三田キャンに向かった。ちょうど正門に警備官が立っていたので、「入りたい。」と言いたら、「無理。」と言われたので、諦めた。ついでに、噂に聞いていた三田本店の二郎に行こうとしたが、閉店だったのであきらめた。さらに慶應義塾女子高校(中3の時に過去問解かされたことがありますが、問題の意味が全くわからなかったです🥱)にも入ろうとしたが、しまっていたので諦めた。写真だけ撮っておいた。その後岐路についたのである。その後は全く年始は勉強に励めず、東方2次創作の視聴とアダルトグッズ・エロ漫画の分析に一人で励んでいた。一応通っていた塾では、難関英数を受けていたので、なんとなくは入試典型題に取り組んでいたが、何せやる気がなかったので、高校で塾の予習を内職していた。


終わりに
よくよく考えたら、いくら「悪夢の高校生活」を書いてもその源流となる早慶附属高校受験の話をしなければ何も理解してもらえないだろう。中学時代の筆者は一種の発達障害だったと思う。親への依存度が高かったっし、うまく親に反抗できなくて、現役、1浪、2浪の時よりも圧倒的に量では勝っていたと思う。質は圧倒的に低いのかもしれないが。後、自分の意志というのがなかったと思う。親が喜ぶから模試でいい成績を取ろう、親が喜ぶから早慶附属高校に合格しようというマインドであった。なんか中学受験の子みたいだね。

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