選べる時間、選べる人生
たまには、仕事をサボって、キッチンの隅でnoteに好きなことを書いてみた。普段、何かと優先順位や論理的な思考に追われる毎日が当たり前になっているけれど、今日はそれをすべて放棄して、ただ自分の心に耳を傾けたくなった。お気に入りのキッチンの隅でチェアに腰掛け、チョコパイを頬張りながら、心の中に浮かぶ思いをそっと言葉にしてみる。
時はすでに深夜。紅茶もすっかり冷め、カップの底には溶けきれなかった砂糖が静かに沈んでいる。その姿を見ていると、ふと自分の気持ちと重なって、少し切ない気持ちになる。心のどこかで、何かを諦めたり、流れに身を任せてしまったりしていた自分が映し出されているような気がして。
忙しさに追われ、心も体も疲れきって、気づけば何ヶ月も自分を見失っていた。それが当たり前のように過ぎていったけれど、こうしてゆっくりと過ごす時間がどれほど大切か、改めて感じている。もしかしたら、4ヶ月ぶりくらいに、こんな風にただ時間を楽しんでいるのかもしれない。
そんな日々の中で、ずっと心の片隅に会った願いがあった。それは、去年から手帳に書き続けていた「会いたい人に会いに行く」という目標。忙しさに押しつぶされて、その願いをずっと後回しにしてきたけれど、ついにその願いを叶えることができた。年末年始の長期休暇を利用して、シンガポールから帰国したその日に、彼に会いに行った。
初めて会った彼は、想像していた通りの温かい人だった。約一年、連絡越しに感じていた彼の優しさや寛容さ。そのままの姿に安心し、心がほどけていくような気がした。想像以上にのんびり屋で、まるでパンダのようにゆっくりとしたペースで過ごしていたのには、思わず苦笑してしまったけれど。
彼との約半月。日常の中で一緒に見た景色や共有した時間が、どれも特別に感じられた。海を眺めたり、夜の街を散歩したり、銭湯でリラックスしたり、水族館でのんびり過ごしたり。それは、どれも大きな出来事ではないけれど、その一つ一つが、私にとってはかけがえのない宝物のように感じられた。
何気ない日常の中で、最も大切なのは、共に過ごす時間がどれだけ貴重であるかを実感することだと思う。普段は忙しさに流され、時にはその大切さを見失ってしまうけれど、こうしてゆっくりと一緒に過ごすことで、改めてその意味を深く感じることができた。
彼と一緒に見る景色、共に味わう美味しい食事、そのひとときひとときを共有する喜び。そんなシンプルなことが、心の中に温かな光を灯していくのを感じる。実は、私は彼の優しさという盾に守られて、何気ない日常を生きていたことに、改めて気づく。そんな優しさに包まれていることが、どれだけ幸せなことかを実感する。
海を前に、ふと確信したことがある。それは、好きな人と見る海は、何倍も美しく、そして特別に感じられるということ。もしすべての季節に彼がいたなら、この景色はもっともっと美しく感じられたのだろうな、と心の中で思ったりして。
「どうか、選べる時間、選べる人生を。」そう、心の中でそっとつぶやく。日々に追われ、心の声を聞き逃しそうになるけれど、時にはこうして立ち止まり、選ぶ力を取り戻したい。選べる時間を大切にし、選べる人生を歩んでいく。そうすることで、きっともっと豊かで、満ち足りた未来へと繋がっていくのだろう。