短篇小説 『折り畳み傘』
しとしと雨が降る夕方。
男は赤色の折り畳み傘を開き歩いていた。すると、急に突風が吹き、傘がバサっと音を立て裏返った。
男は一瞬立ち止まったが、めくれ上がった傘を直しもせず、少し笑みを浮かべ、足軽に歩を進めた。
1年前。
天候が急変し、バケツをひっくり返した様な大雨が降った日。
彼はカバンの中を覗いていた。びしょ濡れになっては敵わないと、渋々一本の折り畳み傘を開き、家まで歩き始めた。
悩んだ挙句、養う家族の増えた自分にとっては安全第一と考え、夜でも目立つからという理由で選んだ黄色の折り畳み傘。
しかし、会社の周りの人達から「小学生かよ~」と言われ、確かにそうだなと思い始めてしまい、無難な黒色などを選ばなかったことを後悔していた。
だが今はカバンに忍ばせておいて本当に助かった。実際、雨はしのげるし、次々に通る車は黄色の傘を避けて走り去っていった。
そのため、雨でズボンの裾が多少濡れようが気にならなかった。なぜなら、自分が正しかったことが証明されたのだ。
主人のために雨を防ぐ盾としての役割を懸命に果たしながらも、薄暗い夜道の交通事故からも遠ざけてくれる。
この色を選んだ自分の目は確かだった。
そんなことを思いながら歩いていると、急な突風が彼を襲った。後ろに強烈に引っ張られ、傘を握る腕は風に持っていかれそうだった。
しかし、自分の正しさを証明してくれたこの雨具に愛着さえ沸いた今、手離すわけにはいかないと必死に引き戻した。
バサっ。
傘が降伏を示すように裏返った。
その瞬間、弾丸のような雨粒は容赦なく彼の身体を撃ち抜いた。
びしょ濡れになり、惨めさを感じ、もはやどうでもよくなった。結局、耐久性か。折り畳み傘の色なんて二の次だ。ならば次からは周りと同じように目立たない無難な色にしよう。
心も天気も荒れる中、傘を直すのも面倒に感じ、裏返したまま家に向かった。
家に近づくと玄関で妻が娘に雨ガッパを着せているのが見えた。ずぶ濡れになった自分を見て家族はどう思うだろう。
すると、自分に気づいた娘がこちらを指差し、大きな声で言った。
「たんぽぽー!!」
その言葉にびしょ濡れの男の心はほっこりと温められた。
裏返った傘は娘にとってたんぽぽに見えるのか。赤色だったらチューリップかな。
「そうだね、綺麗に咲いてるね。」
微笑んで相槌をする妻とニコニコしている娘を見ながら男は改めて確信した。
黄色の傘を選んで良かったと。