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短編小説 『バレンタイン』

ヘンスにとって、バレンタインという言葉はチョコより野球選手が思い浮かぶくらい無縁なイベントであった。

しかし、そんな彼がバレンタインを意識し出したのは先日の席替えのためであった。

絵を描くのが好きなヘンスにとって、席替えでは先生から遠い後ろの席に座りたかった。

しかし、くじの結果、真ん中の窓側寄りの席に決まってしまった。

席を移動した後、がっかりした気分を紛らわそうとノートの余白に花の絵を描いた。

すると隣の席のサリーが「花の絵上手だね!」と声をかけてきた。

「いや、別にうまくはないよ」とへンスは言った。

しかしサリーは食い気味に
「いえ上手よ!だってこのお花、お母さんと一緒に育てているから毎日見てるもの!」と言い、

「へンスもこのお花、家で育ててるの?」と質問してきた。

へンスは少し恥ずかしくなって「まあ、僕のお母さんがお花好きだからね。」と答えた。

「え〜!一緒だね!私もお花が好きなの!まあ、枯らしちゃうことも多いんだけどね。」とサリーは恥ずかしそうに笑いながら話した。

すると、下校のチャイムの音が鳴った。

「ところで・・・」
サリーはまだ会話を続けようとしていたが、
聞こえないふりをした。

へンスは急いでノートと筆箱をバックにしまい、席を立った。

心臓がドキドキしていた。
急いで教室を出たからではなく、その前からだ。

絵を他人に見せたこともなかったし、ましてや褒められたことなんて一度もなかったから素直に嬉しかった。

また、へンスの頭ではサリーの言ったある言葉が何度も心で浮かんでは消えていた。

「一緒だね!」

花が好きなのは僕のお母さんだけれど、自分とサリーの共通の秘密のような気持ちがした。

この言葉はへンスにとって絵を褒められたことよりも幸せを感じさせた。

家に帰ってすぐ、お母さんに花の名前を教えてもらった。

今なら何百種類の植物の名前だって覚えられる気がしていた。

するとお母さんは
「あんたが花の名前を聞くなんて珍しいわね。さてはバレンタインデーが明後日に近づいているからってお花で女の子にモテようとしているのね。」とへンスをおちょくった。

へンスは驚いた。
バレンタインデーが明後日⁉︎

お母さんはへンスの驚きの表情を見て、ショックを受けたと思い、

「冗談よ、きっと誰かからチョコを貰えるわ。もし、貰えなくてもお母さんが用意してあげるわ。」と言った。

しかし、もはやへンスの耳にお母さんの話は入っていなかった。

バレンタインデーが明後日。

毎年お母さんはチョコクッキーを焼いてくれるけれど、今年はどうしてもサリーからチョコをもらいたかった。

へンスがバレンタインを初めて意識したのはこの時であった。


次の日、学校へ行くとサリーはすでに席に座っていた。

席に着くとサリーに「おはよう、へンス!」と声をかけられた。

へンスは「おはよう。」と答えた。

しかし、へンスの頭の中では、

なぜサリーは今、「おはよう」の後に自分の名前を付け加えたのか?もしかしたら自分に好意があるのでは?

と考えていた。

昨日のバレンタインデーの発覚から、へンスはどうしてもサリーの行動にチョコを絡めずにはいられなかった。

自分のサリーに対する返事や行動もバレンタインチョコに関係してくる。

もらえそうか、もらえなさそうか。

へンスはこの頭の中のシーソーゲームで考え、悩み、判断し、気づいた時には下校のチャイムが鳴っていた。

「今日は絵を描いていなかったけど、何かあったの?」とサリーが聞いてきた。

「いや、別に。」とへンスは言い、教室を出た。

サリーと話すのはとても楽しいけれど、元々話すのが得意ではないと分かっていたので、クールさを保つには口数を減らした方が良いと今日1日で判断したのだ。

これも明日のバレンタインのためである。


バレンタイン当日。
サリーは学校へは来なかった。

学校ではバレンタインチョコを貰ったとか貰わなかったでクラスメイトがはしゃいでいるけれど、へンスにとってはどうでも良かった。

どうでもいい気持ちで適当な絵を描いていると、サリーから昨日チョコを貰ったという女子達の会話が聞こえてきた。

なんだ、サリーは昨日渡していたのか。

もはやバレンタインチョコを貰おうと考え悩んでいた自分が馬鹿らしく思えてきた。

時計すら自分を馬鹿にしていると思うほど、針の進みは遅く感じた。

ようやくチャイムが鳴り、下校すると、家ではお母さんがチョコクッキーを焼いていた。

いつもなら美味しいと感じるが、今日はあんまり美味しいとは感じなかった。

お母さんは「今回は大人のビターチョコを使ったから苦いでしょ」と聞いてきた。

ヘンスは「大人の味がする。」と答えた。


次の日、学校へ行くとサリーがいた。

気まずそうに席に着くとサリーは
「おはよう!へンス!」と言ってきた。

「おはよう」と返事をした。

するとサリーは急に、

「私、花の絵を描いてきたわ!へンスは絵が上手だから見て欲しいの!」と言ってノートを渡してきた。

びっくりしたけれど、手渡されたノートをめくると1ページにわたって大きく花の絵が描かれてあった。

美術の先生が褒めるような出来ではないかもしれないけれど、丁寧に描いたことが伝わる絵だった。

花びら一枚一枚の模様も描かれてあってとても綺麗だ。

ん?待てよ?花びらの模様が文字になっている。

「見て」? 「中を」? 「机の」?

「机の中を見て」だ!
へンスは認識したと同時に自分の机の中を見た。

すると、机の中からリボンが巻いてあるピンク色の箱を見つけた。

取り出し、それがバレンタインのチョコだとわかるとサリーの方を見た。

「ハッピーバレンタイン!」とサリーは笑顔で言った。

「チョコを作るのに夢中になって夜更かしをしたら、昨日体調を崩しちゃったのよ。私って馬鹿よね。」とサリーは続けた。

「でも、チョコは一昨日みんなに配っていたんじゃないのかい?」とへンスは嬉しさと驚きを隠せずに聞いた。

「そうよ、練習用でたくさん作ったのよ。」とサリーは答えた。

「練習用?本番用は誰に渡したんだい?」とへンスは思わず聞いた。

するとサリーは身を乗り出しへンスの耳元でこっそりと言った。

花の絵が得意な少年の名前を。

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