「性自認」という概念の問題点

昨今トランスジェンダーをめぐる議論が散見される。
2024年4月19日から21日に行われた「東京レインボープライド」への参加者も大幅に増加し、多くの人が関心を持つようになった。また、学校や企業においてもセクシュアルマイノリティの人への対応についての基準を設けている。
「LGBTQ+」という表現はセクシュアルマイノリティを意味するものとして使用されているが、それぞれが定義するものは異なる。たとえば,LGBは性的指向をさすが、Tは性的指向ではないし、Q+はこれまで「LGBT」と括られ除外されていたセクシュアルマイノリティの人すべてを包括するために用いられていると考えられる。セクシュアルマイノリティの社会的認知のために活動するという面では「LGBTQ+」という表現はそれなりの効果を持つが、それぞれの当事者の問題を社会問題として捉えたた場合、もはや「LGBTQ+」という括りで議論することはできない。それは、先述のように「LGBTQ+」という表現が性的指向や性自認などのような異なる性質のものを含んでいるからである。
したがって、これからはそれぞれ個別の問題についてきちんと議論することが求められる。同性カップルそのものの存在については、もはや議論の余地はない。性的指向については当事者それぞれの問題であり、当事者同士において対等な関係が構築されているのであれば、他者の権利や自由を侵害しない限りなんの問題もない。ただし、本論の目的ではないためここで掘り下げることはしないが、現行の婚姻制度を同性カップルに適用することや同性カップルが子どもを持つことの法適用については、まだ議論が足りないと思われる。それは、現行の婚姻制度が持つ問題や、子どもの視点からの議論が不足していることにある。
現在議論となっているトランスジェンダーの問題は、公共施設の利用やスポーツ競技など、性的指向とは異なる問題である。そしてその際に重要となるのが「性自認」という概念である。

日本語における「性別」という表現の限界

英語表現である「トランスジェンダー」がそのまま使用されることからわかるように、もともと日本語として存在する概念ではない。また、生物学的性別をさす「セックス」と社会的・文化的性別をさす「ジェンダー」という表現も日本語ではどちらも「性別」として扱われてきた。生物学的性別を意味する「オス/メス」という表現は存在するが、英語における「male/female」ほど一般的ではないと思われる。つまり、英語においては「セックス」「ジェンダー」と表現されるものを日本語ではほとんどの場合「性別」の一語で表現してきたのである。そのため、日本語で「性別」といった場合それが「セックス」をさすのか「ジェンダー」をさすのかは文脈に依存することなるため、文脈を理解する能力が求められる。さらに、ジュディス・バトラーが『ジェンダー・トラブル』のなかで「セックスはつねにすでにジェンダーである」と述べたことにより、「撹乱すること」には成功したが、「性別(セックスとジェンダー)」をめぐる問題を理解し議論することをより困難にした。性分化疾患の人を男女どちらかの性別に指定したり手術したりという点ではあてはまるが、今のところ「セックス」にかかわる生殖原理(精子や卵子など)については「ジェンダー」を用いずに説明できるからだ。
「トランスジェンダー」という概念が使用されるまでは、それでもなんとかなったのかもしれない。そして,「トランスジェンダー」について議論するためには、「性別」だけでなく「性自認」という概念も理解する必要がある。
また、慶應義塾大学病院(https://www.hosp.keio.ac.jp/annai/shinryo/center-for-differences-of-sexdevelopment/)では、「ヒトの6つの性」として「染色体の性」「性腺の性」「内性器の性」「外性器の性」「性同一性」「法律上の性」による男性と女性の分類を提示している。「染色体の性」「性腺の性」「内性器の性」「外性器の性」は生物学的性別となり、通常これらはすべてが「男性」または「女性」となるのだが、いずれかまたは複数の要素において通常想定されている発達が起こらないものは性分化疾患となることがある。たとえば,Y染色体を持ちながら外性器が女性器の形状になることがある。これはヒトのデフォルトが女性であるため、Y染色体が男性器を形成するためのホルモン分泌に問題があったり、そのほかの要因によって男性器を形成するプログラムが作動しないことにより起こるとされる。そのほかにも性分化疾患には様ざまな症例があるが、手術などの処置も含め最終的には男性または女性として法律上の性別が指定される。ただし、現在議論されているトランスジェンダーの問題は、性分化疾患とは関連付けられていない。トランスジェンダーの問題は、「性自認」をもとに議論されているのだ。

「性自認」とはなにか

現在当たり前のように使用されている「性自認」であるが、どれほどの人がきちんと理解しているのだろうか。「性自認」は英語のジェンダーアイデンティティを訳したものであるが、そのまま「ジェンダーアイデンティティ」として、また「性同一性」や「心の性別」などと表現されることもある。
まず、厚生労働省がいうところの「性自認」は「自己の性別についての認識のこと」(https://www.mhlw.go.jp/content/000625158.pdf)である。
次に、内閣府では、「ジェンダーアイデンティティ」として「自己の属する性 別についての認識に関するその同一性の有無又は程度に係る意識」(https://www8.cao.go.jp/rikaizoshin/research/pdf/r05-houkoku.pdf)と捉えている。
そして当事者による団体であるTOKYO RAINBOW PRIDEでは、「性自認」を「自分の性別をどのように認識しているか、という要素。男性だと認識している人、女性だと認識している人、中性だという人、決めたくないという人など、様々です」(https://tokyorainbowpride.org/learn/lgbtq/)としている。
どうだろうか。このような定義で誰もが「あなたの性自認は?」と問われてきちんと回答できるものだろうか。
たとえば,「自分の性別をどのように認識しているか、という要素。男性だと認識している人、女性だと認識している人、中性だという人、決めたくないという人など」といった場合、なにをもとにそれらを判断するのだろうか?
実はこれが「性自認」という概念の一番の問題なのである。

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