サクマのいちごみるく


「飴、たべ」

最初から音はそうだった。

その「食べ」には食べる?という問いかけではなく食べろという命令形なのだ。

きっと素敵なおかあさんになる!素敵いう言葉しか思い浮かばない自分の語彙の少なさにあきれる。

その言葉に、音の節々の決意に、凛とした女性の強さを感じる

男なんだけど、ずいぶん年上なんだけど、音に憧れさえおぼえる

飴をすぐ噛んでしまう練を、なにも言わずに微笑んで見つめる音。

胸が焦がれる

衝撃の芋鍋事件から一転して6話と7話の終盤まで。。。

どした?というくらいの退屈感と大げさすぎる演出。。。

そんな状況を八千草さんが一掃する

「音ちゃんを見てると音ちゃんのお母さんがどんな人だったかわかる 私たちは死んだ人ともこれから生まれてくる人とも一緒に生きていくのね 精一杯生きなさい」

ぐーの音も出ない。

人の生き様は伝染する。子は親の背中を見て育つ

そんなことないと言われるかもしれないし

きれいごとだと吐き捨てられるかもしれない

でも、自分はそう信じたい

物質的な豊かさを得てなにかを忘れてしまった現代

あっちにいくときに自分自身に胸を張れるように

ちゃんと一生懸命に生きていこう、凛として。

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