「生き方研究家」を自称する後期博士課程学生のライフ・ストーリー
先日、「ワクワクする人生の育て方100人インタビュー」が、ようやく折り返しとなる50人目を迎えました。
何度言っても言い過ぎなことはないので、ここでも重ねて、これまでご協力・応援いただいたすべての方にお礼を申し上げます…(T-T)🧡(ハートの絵文字をつけたくなりました)
そして、たまたまなのか必然なのか、このタイミングで、自分の人生物語を書いて公開していくのはどうだ?と思い立ったので、ならば吉日、ということで、さっそく取り組み始めてみます。
堅苦しい同意書にサインをもらいながら、録画や録音や撮影をさせてもらいながら人様の人生を聴かせてもらっていて、自分の人生は(そもそも私のライフストーリーにさほど需要がないことが大きな理由ではあるが笑)どこにも開かんのか、というのもなんだかな、ということでやってみます。
いきなりもう書きはじめます。
私は5年前から「自分らしいワクワクする人生の育て方」というテーマで研究を続けている。きっかけは、そこそこ名の知れた・・・と書いてみたがめちゃくちゃ経歴を載せているのではっきり書くと、日本では名の知れた慶應義塾大学に入学して「これで将来は安泰だ」と正直思ったのも束の間、大学3年の(中盤)頃から友人らのほとんどが一斉に就職活動をし出したことだ。
そのとき、「やっと大嫌いな勉強から解放されたのに、また同じようなことの繰り返しなのか」と、一種の絶望を感じた。そうして少し考え込んだ後「このまま行くときっと、80歳になっても、そのときには孫の偏差値にきりきりして競争している気がする」と、こんな人生(嫌な意味で将来が見通せる人生…)を続けたくない、と強く思った。
とはいうものの、就職以外の道で卒業後の進路として思い浮かぶものはなく、なぜなら(※ここから先、当時のとんでもない偏見が入ります。)文系修士なんて就活に失敗した人か、変人がいくところで、そもそも大学院は理系がいくところでしょ?と思い込んでいたからだ。どこでそういうイメージを持ったんだろう。じわじわ洗脳してくる何か、その得体の知れなさが怖すぎる。
しかし、結局私が修士に進学することの後押しになったのは、就活に落ちたこともあるけれど、一番の決定打は「研究って楽しいな、これがあと1年しかできないなんて悲しいな」と感じていたということなのだ。
・・・少し横道に逸れるが、「なぜ研究ができなくなることが悲しいと感じたのか」についても書いておく。
もちろん、最初から研究が楽しいと感じていたわけではない。ゼミに入ったばかりの頃は、先輩や先生たちが何を話しているのか、使用言語は日本語のはずが、目の前で話されている内容の意味がまるでわからなくて、所属して半年で「今学期で辞めよう」と思った。
本を読むことも苦手だったし、いや苦手を超えて大嫌いで、高三までに読んだことがある本は、『かいけつゾロリ』を含めなければ重松清と赤川次郎の小説をなんとか歯を食いしばって読み切ったくらいだった。本当に。
ゼミに所属して半年で「辞めよう」と、おそらく何の未練もなく決意が固まっていたのだが、そのことを、当時仲良くしてもらっていた2個上の先輩にぽろっとこぼしたところ(「難しくて意味わからないので、辞めようと思います」というようなそのままのニュアンスで)、
「先生や先輩たちが何年もかけて研究してきたことの面白さやよさは、たった半学期居るだけじゃわからなくて当然だよ。まりお(私のあだ名)がここを辞めて持つ時間で、これをしたい!っていうのがすでに決まっているならその新しいことを試したら良いと思うけど、辞めても特にやることが決まっていないなら、もう一学期いてみたら?」
そう言われて、当然私は後者(特にやることはなかった暇ヤロウ)だったので、もう一学期続けてみることにした。
・・・あのとき、学部3年にしてこの言葉をくれた先輩は、本当にすごい。私はこの言葉の受け売りで今日まで先輩をやってきている。汗
そんなこんなで、もう一学期続けると、話が理解できないことにも慣れ(あかんやろ)、先輩や同期が楽しくて面白い話をたくさんしてくれるので、サークルのような感覚で研究室に所属しつづけた。
このような流れで居つづけていると、今でも覚えているが3年生のある日に、「…あれ……??先生の話していることがわかるぞ…??…えっ…それに応答している先輩が言っていることもわかる…………え、しかもなんか、私もそれに乗っかって言いたいことが出てきたんですけど…!?!?」と興奮冷めやらぬ日が来た。
そのうち、いつも誰よりも早く手を上げて、誰よりも(小)難しい話をする大の仲良しだった同期の口から出てくることも、「彼はこんなことをこんなふうに話していたのか」と理解できるようになった。
そうしていつの間にか、昔の自分に比べたら(重要)本を手に取ることもできるようになっていった。
・・・の先で感じたことが、「研究って楽しいな、これがあと1年しかできないなんて悲しいな」だったのだ。
要は、自分の成長を、数値ではなくて”実感する”ということをほとんど初めて経験して、《知のワクワク》を知ったのだと思う(Learning Patternsより)。
転機になったのは、就職活動でなんとか(重い腰を上げて)受けた10社くらいのうち、一縷の望みをかけて臨んだ最後の一社の役員面接を終えた後、その望みが消え去り、都内某所のベンチで泣き崩れたことだ。人生終わった・・・そう思った。ここまで、なんやかんや全部に合格してきて、全部というのは小学校の音楽会で楽器のオーディションにも落ちたことはなかったし(1回落ちても敗者復活戦で選ばれたり)、中学受験も第一志望に合格して、大学も偏差値が高いところに合格し、ゼミの面接も受かったりと、とにかく落ちた経験がそれまであまりなかった。
今思えば、就活が全滅したくらいで(しかも全然企業調べもしていなかったのだから当然の結果だ)人生が終わる要素なんてどこにもないのに、その当時の私は大企業に就職できるかどうかが成功という概念の全てで、それを満たせなかった自分の人生は一気に暗闇に落ちたと思った。
泣きながらとりあえず父親に電話し、そこでどんな言葉をかけられたか全く覚えていないが(ちなみに父親はとても優しい人で、「そんなんで人生終わらんから」スタンスです。私にはいつも刺さらないのですが。)その次に相談したのが、学部1年の頃からずっとお世話になり続けているゼミの教授だった。
当時所属していたゼミの先生に、「就活がうまくいかなくて、卒業後の進路どうしたら良いでしょうか?」と相談したところ、何十分にもわたってLINEで相談に乗ってくれた末(先生はその時アメリカに出張中だった)「日本のこれまでの「当たり前」のレールという感覚から、まりおが(そしてまりおみたいな人が)逃れるために、どう考え、何をすることが大切かを研究してみたら?」と言ってもらい、そこから私の「生き方研究」が始まった。
ここでも、特に文系学部だった私は「大学院は理系が行くところ。文系修士は就活に失敗した人か、変わり者がいくところだ」という思い込みで、すんなり決意が固まったわけではなかったが、こうはっきりと可能性がある道を照らしてもらったことで、ゆっくり、でも出願まで時間がなかったので(LINEトークを遡ったら2019年7月10日で、内部進学の受験はすでに終わっていた)せこせこと心と頭を大学院に向けた。先生はもちろん、両親の理解があったこともとても大きかったと思う。
生き方研究家として、補足したいことがあります。
こう書くと「両親の理解がないと、こうはできない」と思われがちなのですが、確かに私の場合は大いにそうで、幸運だった身でこのようなことは書きづらいですが、これまで50人の方にインタビューさせてもらったなかには、ご両親が障壁になって今の生き方につながる道を閉ざされかけた、または閉ざされた方も数名いらっしゃいました。人それぞれに幸運や不運があり、どれがあるからできる、何が欠けているからできない、と簡潔に断言できるほど、人生は単純ではないのだと感じています。
・・・・そんなこんなで現在は大学院の博士課程に在籍していて、昨年9月ごろから「ワクワクする人生の育て方100人インタビュー」と題して、この人の話を聴かせてもらいたい・この人のようになりたい・こんな大人がもっと増えたら、と思う人たちに依頼をして、人生の物語を聴かせてもらっている。
さすがにかっ飛ばしすぎました。とはいえ、ここまでもかなり文字数を稼いでしまったので、連載(にできるのか)初回は修士進学の意思が固まったところまでにしようと思います。
今現在について書くところまで、コンスタントに更新していけたらと思います。
ここまで読んでくれた方がいらっしゃったら、本当にありがとうございます!
ちなみに、この記事のヘッダーはかなり気に入っておりまして、一昨日食べたミスドです。最終的に5個食べました。夜ご飯の後に、です。