私も家事が好きになる失敗談
(約1,700文字 読了まで約4分)
家事きらーい。
私は、長年、家事が嫌いでした。掃除もしないし、洗濯もしないし、料理もしない。アイロンなんてかけたことないし、机の上を片付けたりなんかもしない。
そうやって、暮らしてきました。
どこまで、家事が嫌いだったかを、まずはご紹介いたしましょう。
私は20歳頃、大阪の難波より少し南にある大国町というところに、1人暮らししていました。
もちろん、家事などしなかったのです。ゴミ捨てもしませんでした。あらゆる家事はしませんでした。洗濯物は、コインランドリーでした。
その夏のお昼。
私は、家に帰ってきて、びっくりしました。
部屋の中が暗い。
なぜだと思って、ベランダを見ると真っ暗です。
そこには、なんとカラスの大群がいました。
ゴミを捨てるのがめんどくさくて、ベランダに置いていたのですが、カラスさんたちのご飯になっていたようでした。
ギラギラした無数の目。なかなかに、怖かったです。
仕方がないので、そこは無視して、お風呂に入ろうと思いました。
そこで、見てはいけないものを見てしまいました。
コインランドリーに行くのが面倒で、汚れが取れやすくなると思い、私は浴槽に水を張って、そこに服を投げ込んでいたのですが…ぼうふらが湧いていました。
全ての服がなんとも言えない生臭い激臭が浴槽を支配して、お風呂に入る気を無くしました。
仕方がないので、ご飯でも食べようと思い、食器のところに行くと、飛び退いてしまいました。
めちゃくちゃでかいGさんが、我がもの顔で食器の上を歩いていました。のそのそと、のそのそと歩いていました。
そういや全く掃除もしていませんでした。
仕方がないので、友達の家に避難することになりました。着れる服を持って、私は家を出ました。
私が借りた家なのに、もう私の家ではなくなった。そんな、寂しさと虚しさから、私はつらくなりました。
なぜ、家事をしなかったのだろう?と。
人生は失敗の連続です。
大きな失敗をすることよって、人は大きく成長します。
買ってきたキャベツを放置して、花が咲くこともあるでしょう。
魚を途中まで食べて、忘れた時にウジが湧くこともあるでしょう。
家の中に入ったら、激臭で目が痛くなることもあるでしょう。
みんながよく経験するであろう失敗を重ねて、私は少し大人になりました。
そうして、険しい家事への特訓が始まりました。
ある時は山に篭り、またある時は滝に打たれ、そして、坐禅を組んで、家事について深く考え、いったい家事とはなんだろうか?と考える日々を送りました。
家事とは北斗神拳なのかもしれない。そういったことも頭によぎりましたが、少し違いました。
深く考えることは大事です。考えている間にも、家事はみるみる増えて、また部屋はゴミに埋もれてしまっても。
そうして、苦節20年の時を経て、私は悟りました。
「案じるより生むが易し」と。
結局、綺麗な時に、ちょちょいのちょいって、掃除しておけば、洗濯物が溜まる前に、ちょちょちょのちょーって洗濯機に放り込んでボタン押しておけば、お風呂上がる前にちょっと水切りしておけば、掃除機は見えるところに置いて、気になったらすぐに掃除機を動かせば、シンクに洗い物が溜まる前に食べたらすぐ洗えば、ただそれだけで、綺麗は保つことができるのです。
部屋が綺麗と、自分の心も綺麗になった気がします。
トイレには神様がいます。常に綺麗に心掛けておくことで、なんだか良いことしてる気になります。
では、家事とはいったいなんなのでしょうか??
私が20年の修行において悟ったことは
家事とは心を綺麗にすること
なのです!
そうして私は家事を好きになりました。
そして、家事も私を好きになりました。
相思相愛です。
今では、ゴミ捨ての日が待ち遠しくて、好きな人に会いたい乙女の気分になっています。
毎週捨ててるけど、マジで、早くプラゴミ捨てたい。
ただ1つ言いたいんです。
綺麗に慣れると汚いのが許せなくなります。
ちょっと潔癖症になってしまっているようです。
なんかさー、もっとこう、バランス取れんもんかね。
次は、潔癖症について、修行しに参りたいと思います。
おしまい
本田すのうさんの「すのう杯」に参加させて頂きました。
書いてて面白かったです🤗
よろしくお願いします。
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