エッセイ「Free as a Bird 」
(1,680文字 読了まで約4分)
―― 飛びたちたい。
子どもの頃から、やりたくなるとすぐにやってしまう性格なのだが、自分のせいで、私の両脚に足枷がついて、籠の中にいなければならない。
こんな経験が初めてだから、とても戸惑っている。
世の中の流れはこんなにも早いのに、どうして私は一歩も外に出ることが叶わないのだろうと、このギャップに苦しんでいると思う。
籠から飛び出したからと言って、いい方向に向かうとは限らない。今までもそうだったが、自分が飛び出したい時に飛んでいくのでは、雨や雷で、大怪我する時もあったのだから、人生で初めてこんな待つという経験をしているのは、いいことなのだろう。
もう、籠の中にいる私の足枷がついてから、1年が過ぎようとしている。
本来は、今頃には、まずは足枷だけでも外れているはずなのに、どんどん後ろ倒しになって、今年中は足枷を外す見通しを付けるのが困難になった。
なぜ、自分の心がこんなに定まらないのだろうかと漠然としていたのだが、やりたいことが出来ない、飛ぶことを止められている環境だからなのかと認識した。
私は今、この記事を書きながら、自分で「なるほど」と呟いている。
ただ、この籠と足枷があるということは、何か、そう、何か今までの自分から変わる機会なのかもしれない ――そう思えた。
人は、様々な性格を持っている。
私のように、決めたらすぐに行動しないと気が済まない人もいれば、じっくり考えてから行動を起こす人もいるだろう。
中庸になるのであれば、私には、じっくり考えて行動を起こすということを学ぶ機会をもらっていると、そう解釈した方が良さそうである。
今は、紙に書いて、イメージして、そこに進んで良いか考えよう。
じっくりと腰を据えて。
そういう時期なのだ。
籠の中の鳥が足枷を付けられていても、その心に枷は付けることが出来ない。
今までの人生――それは意味があったことだと捉えたい。
本当にやっていけるのだろうか。
どこで途切れさせてしまったのだろうか。
いつも、私はそんな気持ちを持っていた。
自分の過ちのせいではあるが、環境に嘆くのではなく、環境に振り回されるのではなく、環境に心をもやもやするのではなく、自分の心をイメージの中で羽ばたかせよう。
役目を終えて、巣に戻る鳥のように。
せめて、心は素直に自分の巣に戻ろう。
次に素敵なことが待っているから、心の羽を広げておこう。
そう、Free as a Birdを、心に思い描いて。
おしまい
あとがき
先日、眠れなくて夜中にFree as a birdを聴いていて、書き残していたものです。
こちらから、何もすることが出来ない状況って、結構辛いんですよ。
自分でなんとか出来るんであれば、いいのですが…
本当に私事であるので、申し訳ない記事なのですが、立ち止まらないといけないという環境は、私にはとても辛い。やりたいこと、色々あるのに、それを開始できない。
待つ心が必要だよ!!
そう言われている気がします。
ただ、この1年で私の考え方は、大きく変わりました。それは、良い方向に傾いていると信じています。
来週から、仕事で東京と名古屋に出張しなければならないので、家にあまりおれません。
忙しくしている時ほど、心を亡くすことができるので、それもいいのかなと思っています。
その前に、近所の神社に挨拶に行っておかなくちゃ。
とりあえず、今の私が出来ることはそれぐらい。
あとは、なるようになれ!!