離婚します。
離婚します。これから起こることは起きてほしくないことだったし、これまでお互いに辛抱してきたことだけど我慢の限界が来た。こうなることは分かっていたような気もするけど、正直嫌だ。離婚したくない。
なぜ離婚したくないと思えるのか?離婚理由が自分に相手が興味を亡くなった、もう信用できないということです。信用できないというのは、飲み会があってその帰宅時間を言わなかったことと、帰宅してからお酒に酔っ払った自分が、バタンバタンと音を立てていたから妻も子どもも起きてしまい、睡眠時間を削られたこと、洗面台で歯磨きをしていたら、嗚咽が入ってげろを洗面台に吐いてしまったこと。その処理を酔っ払っていてできなかったので次の日にしたので、妻がそれを目撃。「もうこの洗面台は使えない」「胃が悪い」「なぜ帰ってきてそんなことができるのか」「もう一緒に暮らせない」というふうになりました。
妻はとても男女平等を大切にしていて、自分が家事の中でもお皿洗いや洗濯物干しをしていても、料理もすべきであり、名前もない家事はたくさんある。それをすべて折版にしなければならないという価値観の持ち主で自分が至らないところはたくさんあるけど、これまで目をつむってきた。でも、もう我慢の限界。ということです。
思えば結婚する前の付き合っている段階から思った様に楽しめない自分はいたし、相手の価値観に合わせようと辛抱してきた。それは男女平等という価値観だったかもしれないし、潔癖度合いだったかもしれないし、子どもに対しての子育ての違いだったかもしれないし、こうしなければならないという制約の大小だったかもしれない。
もう離婚するんだって、したくないという気持ちの中で何が中心にあるのかといえば子どもが3人いること。子どものことを思えばパパママは一緒にいたほうがいいからだ。離婚して親権はどうなるんだろう?もし妻が握るとしたら小学校や中学校も転校だろうか?
これを書いている間も何もしていないのに鼻からげろのにおいがしてきた。気のせいだ。気のせい。涙が出てくる。これまで我慢してきたのに。
40という年を重ねて思ったことがある。人間は年を重ねて体力がなくなる。その体力とともにもういいや~と手放さざるを得ないことがたくさんある。いい意味では手放しやすくなって苦しみが減る。悪い意味でいえば辛抱ができなくなる。我慢弱くなるのだ。自分は30代のころに比べて我慢弱くなったと思う。辛抱するくらいなら楽を選ぶ。目標があるなら別だけど、どうでもいいことで苦しむ理由なんてない。手放せ。だ。
しかし、結婚生活を手放すことになるとは思わなかった。正直言ってしんどい。仕事もやめちゃおうか。子どもにはお金がいるからお金を稼がないと。
離婚するのかぁ。
ではでは~~。