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幸せに脅迫されないようにしましょう。
しあわせでいるには、幸せにならなきゃいけないという強迫からは自由であるべきである。
どこか満足のいかない日々、どこかもっと幸せでいなければならないと思う日々。しあわせが何だったのか忘れてしまう日々。皆さん何のために生きていますか?幸せになるために、満足するために生きてないですか?実はその幸せを求める姿勢が幸せを遠ざけているかもしれません。幸福強迫症とでもいうべき病理に現代人はおかされているといっても過言ではありません。
毎日、ごはん食べられるし、人間関係での悩みもあるけどそれは普通。ちょっと贅沢しようかとお友達のドラッグストアより、個人経営のカフェなんて行っちゃったりして、ここが自分の満足する場所だと知ってる。だけど、何か足りない。何か足りないと幸せじゃない。満足しないと幸せじゃない。足りない何かを埋めるために何か新しいことをやってみたりする。買い物してみたりする。でも、思い描いた幸せとは何となくしっくりこない。そんな人がこの日本には大勢いるみたいです。
その原因は日本という国が飢餓を克服したことにより、新たに生まれた悩みである「幸福脅迫症」という病です。症状は、幸福でいなければならないという強迫を受けて自己の置かれた立場に満足できないことです。飢餓を味わう国民でいるならば幸福という文化を追い求める前に飢餓を克服して生命を維持していかなければなりませんでした。しかし、飢餓を克服した国の国民特有の症状である幸福強迫症では、自分の思い通りの現在地でないことを幸福ととらえることができずに、現在の自分をダメだと否定してしまうことにその症状は現れます。
極端な解決策を言うならば、「人間が幸福であるためには幸福である必要などない」ということに尽きると思います。幸福である状態を追い求めるのではなく、現在の地点で幸せであるということにおいては幸せかどうかということすらも必要ない。ということです。
幸せであるということは自己の現在地の肯定であり、現在地よりも未来の方がより肯定できるという状態にあると定義します。そうすると現在地においては幸福であるかどうかというよりも、現在地を認められるかどうかがカギになります。それを邪魔するのが現在幸せかどうか?という幸福強迫症特有の疑問です。その疑問を持つからこそ幸福から現在地の幸福地点から遠ざかってしまいます。
幸せであることには幸福である必要などないということを肝に命じることによって現在地の良さを知り、現在の幸せを感じることができます。
きっと、しあわせって追い求めることだけじゃない。今ある幸せを感じ取ることなんだ。
そんな、事実を飢餓を克服した人間は忘れ、自分の外にある幸せを追い求めて現在地を不幸のもとに追いやります。どうか「幸福じゃないといけない」と「強迫されないでください」今あなたが幸せでないとするならば、人間が幸せでいるには幸せでいるかどうかということは必要のない事柄だと知りましょう。
肩に載せた荷物を降ろして、今日の天気を見てみてください。
きっと、感じれると思います。
ではでは~~。