ジェーン・スーさんに憧れて
コラムニストのジェーン・スーさんに憧れている
Xでつぶやきを読むたびに「会ってみたいな」と思っているが、オーバーザサンのイベントに参加するほどの馬力が、いろんな意味で、私にはない
まずはお小遣い
クラウドワークスや占い業で小銭を稼いではいるが、日々の食費や娘のおむつ代などであっという間に消えていく
もっと稼ぎたい気持ちもあるが、パソコンやスマホに向かっている時間に娘の成長を見逃しているかもしれないと思うと、つい離れがちになる
次に体力
関西圏から東京まで行く自信がない
100歩譲って東京駅までたどり着いたとしても、そのあと都心部の複雑な鉄道ダイヤをかいくぐり日本武道館まで行きつくエネルギーは、30代中盤の私にはもうない(こんなことを書くと年上のリスナーさん達からお叱りの声を受けるだろうが、、、)
最後に、言い方が他にないので端的に書くが、気持ちの問題
オーバーザサンのイベントに参加するために東京まで夫と0歳の娘を連れていくほどの気力はないし、家族を置いて1人で参加したいと思うほどの熱量は、残念ながら、湧き出てこない
というわけで、狙っているのは、配信参加
なんとかして「当日行けない組」の数の力で配信実施をリクエストできないものかと考えている
チケット代は現地組の半額ほどでいかがだろうか?しかし天下の日本武道館、収益の事も考えると、8割ほどは出した方がいいだろうか?いやむしろ遠征費をかけていない分もっと課金すべきなのか?
そんなことを考えていると、仕事も手につかない
クライアントさんを待たせている案件が1つあるのに・・・あと700文字で終わるのに・・・
こんな風に散文をつれづれと書いているのは、なんとなくこのなんでもない文章が「エッセイ」の形にならないかと思っているからだ
ジェーン・スーさんのつぶやきにこんなのもあった
「書いても書いても文字数が埋まらない・・・」
コラムニストの仕事は「文字数を埋めること」なのだなあと改めて理解した一文だった
詩的な表現を使ったり、普段と違う語彙を引っ張り出してきたり、なんて面白そうな仕事、そしてつらそうな作業なんだろう、と思う
例えばこういうことだろう
「今日は朝ごはんに食パンを食べた」
という一文を伸ばしていくとしたら?
「今朝は6時に起きて布団の中で軽く背伸びをした後、よいしょと独り言を言いながら立ち上がって洗面台へ向かった。そして自分の顔を鏡でチェックして今日もむくんでるなと落ち込みながら、あえて冷水で口元から洗っていった。最近変えたばかりの青い歯ブラシで左の奥歯から歯を磨いていき、最後にフロスをかければ、朝食を胃袋に収める準備は完了。棚から食パンを取り出し、袋を開けた。中からは食パン特有のあの匂いがした。ジャムやマーガリンは付けずに、まずは1口そのままかじってみた。ふわっとした食感と熱くも冷たくもない温度。お腹はすいていなかったのだが、その1口で急に食欲がわいてきたので、慌ててコーヒーを入れた。」
こんな風な作業を繰り返していくのが、コラムニストであり文筆家なのだろう(と、勝手に思っている)
少しここにユーモアを足したりして、読む人をくすっとさせるのが、ジェーン・スーさんの持ち味だと思う。
スーさんは文章で飯を食べている人なだけあって、とても冷静に見える
そのときどきの状況を面白おかしく表現する点が大好きだ
いつか直接会って、その知性を目の当たりにしたいと、ずっと「想って」いる
そんなジェーン・スーさんに会えるチャンスが、サイン本イベント
1月22日発売の新刊「へこたれてなんかいられない」の刊行記念イベントが関西圏でやるならば、行ってみたい
何か告知が出ないものか、少しだけそわそわしている
そのためにもなるべく貯金貯金の日々を意識したい
ジェーン・スーさんの視界に、一瞬でいいから入りたい
直接交わりたい
そんな思いを胸に秘めて、この文章を終わろうと思う
ここまで読んでいただいてありがとうござんした
それではまたお会いしましょう
オーバー!