責任のある棄権

 こんばんは。先程とある人に「どうやったらオンライン授業面白くできるかな」って言われたんですよね。大学の講義って専門的だから「ハマる人にはハマるしハマらない人にはどうやってもハマらない」としか答えられないなぁと思って何て返事するか迷ってます。
#もうそういうもんだから
#どうやったら人は空を飛べるんですかって聞かないでしょ


 さぁ今回は「責任」についてお話ししたいと思います。捉え方かもしれませんが無責任な人が多いなぁって思うのでなんとなく。サークルでも社会でも。
#嫌いにならないでね


 今日は本当に文章が読みにくいです。ごめんなさい。


 サークルでのお話。僕のサークルには役職が割り振られていて、想像しやすいのでいうと指揮者だったり、代表だったり。合唱には声部があるわけで、各パート(ソプラノやらテノールやら)のリーダーなども立派な役職です。


 これは選挙みたいに決めるんです。立候補して、演説して、投票して、信任されて。でもサークルの役職なんて責任感持ってやる人が全員じゃないんです。もっというと、責任持って投票する人なんていないんです。


 「なんとなく多数派だから。」


 でも違和感があるなら質疑応答するなり解消されないなら反対するなりして、もう少し所属団体に能動的になりたいなぁって思うんですけどそんな押し付けは良くないので、それだと危ないよって話です。


 自分で賛成に投票したってことは、その票には自然と責任が付き纏うので、例えばその人が間違ったことをしても強く言えないんですよ。都知事選みたいに。
#おいやめろ
#敵を作るな


 あのときちゃんと考えて投票してれば。って後悔しても遅いんですよ。自分で行動する意欲がないなら、誰かに任せる。わかるよ。じゃあ投票するか?いや、面倒だから適当にする。じゃあ口出しするなよって話です。どこかで責任を負わないといけないんです。


 あとは、立候補した人に責任を押し付けるのもやめて欲しいです。例えば指揮者に立候補した人は式が振りたかっただけで、役員(うちのサークルには役員制度があります)としてはそんなに興味がなかったかもしれない。そんな人に無理に役員を押し付けないで欲しい。棄権させてあげましょう。


 これサークルの運営くらいなら無責任でいいですけど、自分の生業に関わってきたときにちゃんと考えられないですよ。大学って社会勉強なので。


 これ大人になってもこの種族は存在してるんですよね。義務を果たさないのに権利を主張する人たち。そこの街に住むなら、その行為に対して町内会費を払う義務が生じるんですよ。所属している以上責任(運営の一旦を担う)を果たす義務が生じるんです。


 これをしないのに街灯が壊れてるだのゴミ捨て場が臭いだのいう人がいますね。愚かです。


 発信することがそもそも責任ではないんですかね。
 わかんないです。
 ここに来て急に弱気。


 あの今日は本当に読みにくい文章でごめんなさい。


 最後に、こうした方がいいよねって言うのを提示しておきます。棄権って一つの責任なんですよ。「興味ない」という意思表示なので。
#ここ履き違えるから棄権は疎まれる


 無責任な賛成よりよっぽどありがたいです。だから、棄権をもっと現実的な選択肢に入れましょう。所属員がどのくらい興味がないかがわかるのでいいと思います。


 この環境が整ったら、もっと前に進む力と柔軟性が生まれてくると思いますよ。
#2年生の学指揮を生み出せ


 ではまた。

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