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私の幼少期①

機能不全家庭に育った私の幼少期について触れていきたいと思います🌱
苦手な方はこちらでストップしてくださいね。

✴︎現在では両親とのわだかまりはなく、割と良好なので、ご安心ください。



父親が典型的な昔ながらの頑固な親父。
気に食わないと
殴る、物を投げる。
今考えたら小さな子供。癇癪ですね。
今では騒がれそうですが、
教師に箒で叩かれたり、、、昭和を引きずったような男性は割と多かったように感じます。



母親は常に外に恋人を作り(人は変わっていますが、現在進行形、、、。今は反対はしませんが、、、。)
ヒステリックに怒鳴り散らしたり、
人の気持ちを汲めないタイプの人間。



毎日昼夜関係なく、
怒鳴り声や叫び声
手や足、物が飛び交う賑やかな我が家でした。
ちなみに霊障も激しい家だったため、
とにかく安らぐことはなく。
私は心を遠く、遠くへ。
何も感じないように、凍らせるしかありませんでした。


唯一の安らぐ場は
大好きな習い事の時間。
公園のブランコ。
でした。


姉が灰皿で殴られていたり、
蹴られたりしていたのを見ていたため、
要領よく父親からは逃げていました。
夜中に母親の叫び声で起きることもあり、
両親の間であえて寝たりもしていました。

母親に髪を結ってもらう時に少しでも動くと、
頭を叩かれて、髪を思い切り引っ張られる。
母親の意見に沿わなければ、
物をこぼせば、
意に沿わない行動一つ取れば、
怒鳴られ、殴られる。


常に気を張り、家族のご機嫌を損ねないように。
喧嘩が起きないように。
ピエロのように、
家族の空気を読み、
皆を笑わせていなきゃと思っていました。


姉に比べブス。
言う事を聞かない可愛くない子。
扱いにくい子。
外にある物置に半日閉じ込められたり、
雪が積もった真冬の外に
上着なしで何時間も外に出され、凍えかけた時もありました。


1番心に残っているのは、
〝あんたなんか産まなきゃよかった〟
首を絞められたこと。
これが大きな心の傷であると知るのは
かなり後のことになります。


夫婦喧嘩はしょっちゅうだったので、
母親の家出に連れ回されて、あちこちの家に泊まりに行ったり。
泊まった先の叔母さんに嫌味を言われたり。
母親に連れられて、
母親の彼氏の膝の上に座ってピアノを弾いていて、楽しかった記憶が割と鮮明に今でも残っています。
(何人目の人でしょう。)


歯が痛くなったり、
風邪を引いて熱を出したり、
指を切ったりして血が止まらなくなっても、
一人で病院に行き、受診したりしていました。


明らかな喘息発作にも関わらず、
夜の発作時にはうるさいから息を止めろ。
母親に怒鳴られ、
氷を必死に舐めたり、息を止めたりして
咳が出ないように頑張っていました。
(発作なのに止まるわけがない、、、)


父方の祖母や親戚にもいびり倒され、
可愛くない、痩せっぽちで女らしくない。
沢山の暴言を吐かれていました。
叔父には、
お尻を触られたり、
胸を触られたり、
無理やり抱きしめられたり。
膝の上に無理やりのせられたり、
気持ちの悪い発言も。
子供ながらに、
可愛がっているのとは少し違う、、、気づいてきました。
誰も止めてくれなかった悲しさ。



我が家はあくまで一般家庭。
と、思い込んでいたため、
自分が結婚し、子育てをしながら感じる違和感。
それが膨らみ、弾けた時に、普通ではなかったことに気付きます。



愛と暴力が常にセットだった幼少期。
自分がとてもしんどい時の母親の優しさが
子供ながらにとても嬉しかった。



長くなるので、続きます。。。









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