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今までの軌跡を振り返る。

 こんにちは。rioです。暑さがようやく収まり、秋の気配を感じます。夜は肌寒くもなってきました。皆さまどのようにお過ごしでしょうか?風を引かないようお気をつけください。
 今日は自分のこれまでの大学生活を振り返って、感じる事を書いてみたいと思います。 


野球をやめた。次は何を?

 高校までおよそ10年間野球をやっていた自分にとって、大学入学時に野球をやめたことは一つの大きな分岐点であったように思う。小学3年から始めた野球では悔しい思いも良い思いも沢山した。結果を出すための努力を惜しむような人間ではなかったし、時に実際にその努力が実を結ぶこともあった。それがさらに自分を練習へと向かわせた。運よく選抜チームに選ばれる事や注目を浴びる事もあったため、それに伴って周囲の期待も高くなり、野球を辞める選択肢はなくなっていた。正直、途中からは好きだからというよりも周囲の期待に応える、あるいは自慢するために、野球をやっていたようにも感じる。つまり、高校で野球を辞めるというのは自分で決めた、初めての大きな決断だったと思う。いずれにせよ、野球界?という狭い世界観の中で生活していた。もちろん沢山の仲間や礼儀、学びがあったので、野球を続けていたことに関して後悔はしていない。ただ、生まれ変わっても野球は選ばないだろうなと思う。(笑)

 野球を辞めた私は大学で何をしようか?沢山考えた。高校まではずっと野球をやっていたため、野球をやっている自分がある種、自分にとって一つのアイデンティティーとなっていた。一つのアイデンティティー失った私は沢山考えた結果、暫定的に目標を掲げていたように思う。(当時は掲げていないが、今振り返るとこれだったのかなと思う。)

①プロ野球選手よりも稼げるようになろう。
②武器を持ち、自分のことは自分で決める、決められるようになろう。

 以上の2つだ。①に関してはずっと将来の夢がプロ野球選手だったこともあり、それ以上のお金を稼ぎたいと思ったこと、ベクトルは違えど、頑張ればプロ野球選手以上にお金を稼ぐことができると思っていた。②に関しては野球を失ってこれからどう生きていこうか、考えたときに自由に生きたいと思ったからだ。そのためには知識を付けることが大切だと思った。賢く生きるためには知識が必要である。そう考えたのだ。「お金は盗まれるが知識は盗まれない。」その言葉を聞いて、お金よりも知識が必要なんだって思うようになった。知識があれば無一文からでも立ち上がれるのだから。

 そして、①②の目標のために、「人脈を広げる事」「知識を付ける事」この2つに取り掛かろうと思った。

そんな2つの目標があった私は卒業式で皆の前で「起業して経営者になります。」なんて言っていた。今振り返ると結構面白いこと言ってたな、なんて思う。(笑)

コロナ到来。

 大学に入るタイミングで皆さんご存じのようにコロナがやってきた。そこですべての生活がストップされ、友人と会うことはなくなり、大学で楽しみにしていた人との出会いは僅かなものになった。それでも知識を蓄えることはできると考え、本を読み漁った。資本主義のルールや仕組みから勉強した。生活習慣、どのように生きていくべきか。あの時はある種、自己啓発オタクになっていた。


 そんな自分に母が一言。

本を読むのは良いことだし、止めようとも思わないだけど、そのままだったら知識だけ持っている頭でっかちの人間になってしまうよ。」

9/21の私のnoteにて

 ここからのことについては下のnoteでまとめているように、知識と実際の経験のバランスを取ろうと試みた。知識でとどめるのではなく、実際に色んな事を自分の体でやってみる。やって初めてしっかりと理解できたことにしよう。と。

 そこからはひたすら勉強と行動あるのみだった。オーストラリアへの留学も決めたが、正直理由は確かではない。けど、おそらく「知りたい」欲求からだったのかなと思う。tarosacというyoutuberを見つけ、世界には沢山の考え方があることを知り、それを「自分の体で理解したい」と思ったのだと思う。そのために英語を学んだし、英語を話せることによって沢山のことを知れた。だから、英語力を手に入れてうれしいと言うより、考え方や価値観を知ることができたこと、世界に友人をつくることができたこと。外国人の彼女ができたこと。これら多くの大切な財産を手にすることができたことが非常にうれしい。これから仕事をするうえでも武器になるとも思う。英語は自分の世界を変えた。非常に良かった。

 次のノートでは自分が行ってきた経験を振り返り、何を学んだか、得られたかについて書いていこうと思う。

今日もこの辺で。rio


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