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漢なら経験で物事を語れ。

 こんにちは。rioです。タイトルに興味を持ってくださった方々、ありがとうございます。今回は一人旅を行った経緯と振り返りをしたいと思います。

漢なら経験で物事を語れ?

 このタイトルに目を引かれた人は少なくないのでは?(笑)この考え方は私が旅を行う上で根本の考え方になっている。いや、旅だけじゃなく、日常生活全てに繋がっていると感じる。
 ひと昔前までは知ってる≒経験したことがあるだったと思う。しかし、今はインターネットの普及によって、どこに行かなくても、携帯で何かを調べることができたり、YouTubeを見ればそこに行った気になれる。一言で言えば、知っている≠経験したことがあるになっている。だから、実際の経験と知っている知識の量の乖離が起きやすい。そんな時代であると認識している。そんな時代の背景も相まって、知っているだけで満足してる人が多い風に感じている。また、単なる知識を自分が経験したかのように語る人が多い。


少し昔の話をしよう。

 実際私もその1人だった。高校までずっと野球をやっていた。野球をやっていた時は自分なりの練習方法を探し、効果的な練習でないと感じたものは試しもしなかった。やってみて効果を感じてから辞めるという選択肢がなかった。(高校野球は時間がないため、そうなるのはある種自然のことかもしれないが。)怪我もあって大学で野球をすることは諦め、大学では新しい何か没頭できることを探そうと出会いを求めた。しかしコロナ禍によって人と会う機会が減ってしまったため、そこに何ができるかと考え、常に読書をしていた。しかしそこでふと思った。このまま読書をしていても、知識だけ身に付いて実際の生活に役立つのだろうか。また、それを考えていた時に、母が私に言った。「本を読むのは良いことだし、止めようとも思わないだけど、そのままだったら知識だけ持っている頭でっかちの人間になってしまうよ。」と。

 そこで私ははっとした。確かに、自分がやってもいないことを読書やYouTubeを通して自分が実際に体験したかのように思い込んでいた。これではいけないと思い、実際の生活を見て回ると言うことをやろうと思った。その気持ちが私を一人旅へ向かわせた。それは大学1年生の冬のことだった。
 酸いも甘いも全て経験する。その中で自分なりの意見を作る。自分なりの生き方・考え方を見つけるということ。これはお金にならないかもしれないけど何よりも大切なことだと思った。


 誰かがいいと言った考えが必ずしも自分も良いと感じるわけではない。また、有名人がおいしいと言ったレストランの料理が必ずしも自分がおいしいと感じるわけではない。あたり前の事実だが、今日、我々が見落としがちな視点である。インフルエンサーの登場が我々を混乱に陥れているように感じる。


他人の意見を自分の意見のようにしていたらそれは自分の人生ではなくなる。自分の感性はどこへ消える?そう思った。

 ご飯が美味しくなかったらそれは悪い経験だった。行く意味がなかった。のではない。美味しくないと言う経験ができた。また何かをトライしてダメだった。だったらその方法では失敗する、あるいは自分の得意分野ではないことが分かった。そういうふうに考えるようにした。だからやってもいないのにあれは良くない。あれはできない。そう思うのはやめようと思った。
一言で言うと、知識ではなく、経験で物事を語ろう。そう思ったのだ。

京都の嵐山
小樽
西表島
日田市の進撃の巨人像
宮古島のまもるくん


 そこからは貪欲に人との交流を求めた。北は北海道、南は沖縄、宮古島・石垣島まで訪れた。また留学にも挑戦し、オーストラリアでも一人旅を行った。シドニーのホテルに止まった時に、ベッドの上にの上に、韓国人隣のベッドにアルゼンチン人、エジプト人がいた事は今でも忘れられない。本当に沢山の人と話した。もちろんオーストラリアではオーストラリア人以外にもいろんな人と喋り、各国によって考え方が大きく違うっていうのは非常に感じた。だけど、「それ以上にやっぱり思ったのは国とかは関係なく個人それぞれ考え方が違う。」つまり日本国内でも考え方は様々だ。それを今回も感じた。それでは今回の振り返りを変えていこう。

今回の旅の振り返り。

 まずは、箇条書きで。
・田舎に行けば行くほど統一性や同調圧力を感じる。
・日本、無宗教って言われているけどなんだかんだで神社や寺が多い。
・出雲大社と伊勢神宮、一回は行くべき、空気が違う。
・神社は背筋が伸びる。
・世界は広い。
・日本が外国人観光客に圧倒されている。侵略されそう(笑)
・大都市の人の多さは異常。
・九州の人のアクセント理解に時間かかる。
・関西に終日女性専用車両あって驚き。(東京は通勤時間だけ。)
・大阪駅の近未来感すごい。
・日本人って何?日本の領土はどのように決まった?なぜ沖縄・北海道は日本で朝鮮、台湾は他の国?(シンプルな疑問。)
・日本の魅力は「控えめさ」にある。
・価値観、文化は全部フィクション。人々が作り上げた妄想でしかない。

伊勢神宮の外宮の中。

この旅での気付きをざっと。

 今回の旅では主に日本の歴史にフォーカスしながら、考えながら歩いていた。戦争のこと、弥生時代のこと。こう色々考えているとすべてがフィクションであることに気付く。国家も、言語も、お金も文化も。実際には存在していなくて、人間が団結するために作り上げたフィクションなんだなって。だから国や地域によって仕組みや考え方は異なる。つまり、事実は1つ。解釈は無限。実際そのおかげでここまで生活基準を上げ、豊かな暮らしをつくっているわけだけど。その一方で諸問題を引き起こしているのも事実。

 日本は小さな国だって思われがちだけど、そんなことはなくて十分大きくて多様性に溢れた素晴らしい国だ。そんな日本の旅で感じたのは人を日本人たらしめているものは「謙遜」「控えめさ」であるということ。これが人にも、建築物にも表れている。よく、日本人の特徴として主張をしない、同調圧力が強いと言われる。私もそれが嫌いな一人だが、そこに日本ならではの「美」が隠されているのではないかと感じた。能力があっても謙虚でひけらかしたりしない。ここに上品さが垣間見える。この「美」が世界で通用するかどうかはまた別の話だが、これは日本人ならではの特徴ではないか?そういうふうに思う。建築物でも同じだ。派手さはないが、内に秘めた美やわびさび、これに日本としての気質が見える。自然をこよなく愛し、質素なものに趣を見出す。欧米の国にはない感覚で、これからも大切にすべき考え方ではないかと思う。近代化が進んだ日本では多くのビルが立ち並ぶが、そういった日本の伝統的な建築物は壊してはいけない。そう強く感じた。

 私はこの度で自分の祖先のルーツを知ろうと思い、日本人とは何かを旅の中で調べていたけど、完璧なモノは分からなかった。しかし、先人が残した日本や考え方には触れる事ができた気がした。
 今ではグローバル化が進み、帰化した人、ハーフの人も増えて日本人のイメージ(顔も性格も)が変わりつつある。だから、特に日本人らしさにこだわることなく、自分の生き方をしていく。それだけではないかと思った。先人の日本人らしさも学び、自分で何が良いか、判断したうえで生き方を決める。これで十分なんだ。そこに日本人も外国人も関係ない。私は自分に対して誇りを持てるような人間になりたい。私の行動はすべてそこに繋がる。だから、その目標に向けて、好きなモノ、良いと思ったモノを取り入れ実行する。世界はそれくらいシンプルだ。

 今回も長くなりましたが、この辺で。rio





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