嫌いな食べ物の話。
こんばんは、私です。
今日は表題について話をしてまいりたいと思います。
食べ物というのは尊い、実に尊い。
まずは大前提として、生きとし生けるものの命をいただくこと、
そしてどの食べ物にも誰かの力が加えられていること、
これほど尊いことはない。
感謝しながら日々食事をしています。
このことを大前提に置いて、話をしたいと思います。
さて。
しかし嫌いなものは嫌いなのです。
皆さんの嫌いな食べ物はありますか?
本丸に辿り着く前に、ひとつ克服した食べ物の話をしたいと思います。
私はパクチーが嫌いでした。ありがちですね。
そう、理由はもちろん
【カメムシの味がするから】です。
これはパクチー嫌いな理由ランキングでも
第一位、殿堂入りなのではなかろうか。
ちなみに、
「いや、カメムシ食べたことはないけどw」
までがセットです。
当たり前です、カメムシ食べたことなんてないです。
しかし私は、パクチー好きな世界線になぜか強い憧れがあり、なってみたかった。
【パクチー好きな私】に。
そんな時、絶好のチャンスが現れた。
当時のバイト先の飲食店で、パクチーを取り扱うことになったのだ。
その日から、私による私のための
パクチー克服賄いメニューが始まった。
来る日も来る日もパクチーを食べた。
数週間たったある日、
味覚が一線を超えた。
カメムシの向こう側を見たのだ。
おおっ!
いける!いけるぞ!!
好き、までとはいかない。
しかし、確実に【嫌い】を通り越して【普通】ゾーンに入ってきた。
それからは早かった。
数日後には【好き】ゾーンに食い込み、
私は念願のパクチー好きの世界線で生き始めることに成功した。
それからはエスニックが大好きになり、
よくスーパーでパクチーを買って食べたりしている。
パクチーの別名「コリアンダー」という曲まで作って、
文字通り心身ともにパクチーを愛している。
さて、ここまでは本丸までの序章、
いわば前菜だ。
ここからが表題について。
嫌いな食べ物の話をしよう。
私は高校生の頃、寮生活をしていた。
大変厳しい軍隊のような寮生活だった。
恋愛禁止、ケータイ禁止、自由に外出もできず、メイクやおしゃれも禁止だった。
地元に帰れるのは、年に二回盆と正月だけであった。
私の地元は因島という瀬戸内海の孤島で、
過疎に過疎が進み、これ以上は進まないであろうとたまに帰ると、私の期待を毎回裏切って、過疎が進み続けている、そんな島だ。
当時はまだ中学生の延長のような気分で、
同級生の友達とも繋がりがあり、
帰省して遊ぶのが本当に楽しみだった。
私の友達にMちゃんという子がいた。
Mちゃんは保育園の頃から仲良しで、Mちゃんの家族とも仲良しだった。
Mちゃんのご両親は少しヤンキーチックで、
私が高校生活で何かあったときは
尾道中から仲間を引き連れて学校に乗り込んでやると言ってくれた(来なかった)。
それほど私のことを可愛がってくれた。
帰省の時はご飯に連れて行ってくれた。
そして事件は起こったー。
Mちゃん家族は、日頃軍隊のような生活をしている私を思いやり、ご飯屋さんに連れて行ってくれた。
寮生活では、好き嫌いしてご飯を残すような行為はもれなく断罪される。
その夜は、トンカツやメンチカツ、エビフライ、ありったけの揚げ物を用意してくれた。
こんなに揚げ物を見たのは人生で一度きりだ。
私は大好きだったトンカツを思い切り食べた。
美味しかった。
「寮に戻ったらいつ食べれるかわからないから」
と、Mちゃんのお母さんは私にトンカツを何度もおかわりしてくれた。
寮生活での一年生は、ゴミのような扱いを受けていたので、
人の温かさに胸が熱くなった。
そしてトンカツを食べまくった。
そして、突然私の体に異変が起きたー。
「き、気持ち悪い」
優しさで熱くなった胸が、その向こう側を見た。
私は人生で初めて「胸焼け」を起こしたのだ。
高校一年生。15歳で。
胸焼けすることがあるか?
よっぽどだ。
その場はなんとかやり過ごし、
しかし最大限の感謝を伝えて実家に帰ってきた。
案の定私は全てのトンカツを吐き出し、
数日間胃もたれで寝込んだ。
それからというもの、トンカツが食べれなくなった。
それだけならいいのだが、
軍隊生活でたまに先生が私たちを気遣って、外食をさせてくれる。
それが決まってとんかつ和幸なのだ。
前述した通り、好き嫌いは処罰の対象なのでお残しは許されない。
ほとんど記憶にないが、おそらく水で流し込んでいたのだろう。
そんな軍隊生活もなんとか死に物狂いで卒業し、それ以来一度もトンカツは食べていない。
一回「今ならいけるかも?」とトライしましたが、やっぱり無理でした。
また10年後くらいにやってみようかな。
トンカツの次に、メンチカツも食べられません。
エビフライ、カキフライは食べられます。
自分でもよくわからない。
強烈なトンカツナイトを経て、
私も大人になった。
こんなことを書いてしまっているけど、
あの日のMちゃん家族には本当に感謝している。
人生でトンカツを犠牲にするほどの価値があったのだ。愛だね。
今日はそんな、嫌いな食べ物の話。
お後がよろしいようで。