【エッセイ】合氣道の話。
こんにちは、私です。
コロナ禍に突入した、いまから約3年ほど前に私は合氣道を始めました。
護身の為とか色々あるんだけど、
「かもめ食堂」と言う映画で、
小林聡美さん演じる主人公”サチエ”が、
寝る前に膝行(簡単に言うと立ち上がらずに膝で歩く)をやっていて、
「毎晩これやらないと気持ち悪いんです。」
と言うシーンがきっかけです。
サチエがとても魅力的だったこともあり、
合氣道が人格にも多大に影響しているのだと見えたのです。
そもそも合氣道は相手のことをなるべく傷付けずに制する、という武道です。
それってすごいことじゃん?
愛じゃん?
よく先生からは
「腕なんて折らなくても、相手を制することができますからね。
だいたい腕を折るのなんて簡単ですからね。
それをいかにして、ぶつからずに相手を制するか、です。」
とよく言われます。
相手の動き、流れを止めずに主導して、制する。
肝心なのは初動を制し、そして遠くまで意識を飛ばすこと。
手元だけではなく、相手全体を見ること。
力はいらない。
ぶつかる必要はない。
私が学んだ合氣道での必要なことです。
これは人生論か。そうです。
合氣道はいつだってこの人間社会、
はたまたこの星で生きる全ての生命に大切なことを教えてくれます。
兄弟喧嘩でボコボコにやり合っていた幼少期。
あの頃この教えを知っていれば、
この星で最も不毛な争いの数々は回避できていただろう。
(余談ですが、私の兄は反抗期に壁を殴って骨折したことがあります。可哀想!)
兄弟喧嘩がヒートアップして、
中学生の兄がテーブルにあったマヨネーズを壁に投げつけた、ある晴れた土曜日の午後。
野球部の兄のピッチングの
あまりの威力に蓋があき、
壁に一筋のマヨネーズラインが引かれたのです。
そしてそのマヨネーズは、
今では主流となった細線キャップを搭載しており、
当時としては革新的な作りであった。
そのキャップから生まれた線は
あまりに細く、繊細なタッチで、
しかし同時に力強く「ここに我あり」と言わんばかりの素晴らしい一線であった。
「絶対に笑っちゃダメだ。」
ほとぼりが覚めるまで、
私はそのマヨネーズラインを見つめることなく、嵐が過ぎ去るのを待った。
その後、そのマヨネーズラインの後処理は
問答無用で私がやることになり、
壁を拭くと、なぜかそこだけ汚れが取れてとても綺麗になっていた。
わあ!なんて綺麗!
と言えるはずもなく、
私はマヨネーズの特殊な清掃成分に、
静かに関心していた。
(あの日、誰にも言えなかったがマヨネーズの思い出が、今やっと日の目を浴びたのであった。)
ぶつからなければ見えなかった経験。
しかし、なるべくならぶつからずに知りたかったマヨネーズの事実。
あの日、私が合氣道を知っている世界線なら、
きっと醜い争いは起こらず、
マヨネーズは減らなかったことだろう。
後日、理科の授業でマヨネーズには、
お酢や油と水を中和させる成分があり、
それに洗浄効果があることを知る。
そうさ、物事は争いからではなく、勉学から学習ができる。
それが人間のあるべき姿なのだ。
そして理科の授業でお墨付きを得た結果、
私は手持ちの10円玉を片っ端から磨いて行ったのは言うまでもない。
今日はそんな合氣道の話。
お後がよろしいようで。